あしや温故知新VOL 170 打出町芦屋の地名シリーズ35

 

 打出大東町と打出南宮町の北側一部が国道43号線の以北に位置しています。

 

260世帯472人(令和29月データ)の小さな町です。


 しかし、この町こそが旧西国街道の浜街道と本道の分岐点でその場所も分かっております。

初めて海岸に打ち出るということから打出町と名付けられたと考えられます。


 さて、この打出町の国道43号線の北側に、阿保山親王寺があります。(あしや温故知新VOL53に掲載)この寺の言い伝えでは、芦屋と関係の深い在原業平(ありわらのなりひら)の父である阿保親王がこの地に住んでいたことから、約1150年ほども昔の平安時代にこの親王寺は建てられ、阿保親王の菩提寺とされたと建立の経緯が記されています。


  この阿保親王の子孫であるということで、長州(山口県)の殿様の毛利家は江戸との行き帰りに必ずこの寺を訪れ、しばしば進物を贈ったと言われております。

  境内には毛利家の家紋が沢山存在しております。


 阪神淡路大震災で相当な被害がありました。現在の本堂は再建されています。

 なお明治5(1872)年頃、打出初の学校である、打出村尋常下等小学校が、この親王寺の庫裏(くり)を仮校舎として開校したと記録が残っています。

 

【過去投稿より】

打出市場(あしや温故知新VOL36に掲載)

西国街道沿いの歴史にもあるようにこの打出地域の市場は昭和23年(1948年)開業。当時は36店舗と記録されていますが、43号線建設後に32店舗、最盛期に36店舗になったとの証言もあります。


  打出地域は阪神打出駅から南に広がる打出商店街と共に賑やかな商業地域を形成していたのです。打出市場と打出商店街は距離にして60mほど離れていました。

   打出市場は幾分狭い通路でしたが、常にお客さんで溢れ、豊富な品数が揃う打出地域の台所としてその存在意義は高いものでした。

 

 市場には、多田手芸店、松月駄菓子、瀬口八百屋、お茶原田、カレーコロッケ玉城肉屋、上林漬物屋、田中魚屋、中野豆腐、川上魚屋、岩崎乾物屋、三岡乾物屋、小谷文具、坂口履き物店、玉屋製麺うどん店、坂口タバコ店、栗屋菓子店、春日鶏肉店、高田八百屋、鈴木果物店、バロン鞄店、浴衣店、花屋さん、薬局、後に打出商店街でスーパー大松を経営する荒物屋さん。


  そのバラエティー溢れる品数でお隣の西宮市からの買い物客もありました。

  市場の北の入り口付近にあった和菓子屋さん「小槌菓子本舗」は現在「串昌」として焼き鳥・串揚げのお店として現地で営業をされています。


  現在の宴会用個室付きのお店になって震災後、打出市場の面影を残してリニューアルされています。

 

  打出駅南の打出商店街にスーパーマーケット(大松)が出来て、徐々にお客さんが遠のいたと言われますが、国道43号線が完成し、完全に南側の人口が多い大東町や南宮町・浜町の人たちが分断されてしまった影響が大きいとされています。

 

  市場内の店も1軒減り2軒減り、北東の角がマンション用に売られたりしても、1995年(平成7年)の阪神大震災前には23軒のお店が営業を続けていたのですが、残っていた店も全壊して完全になくなってしまいました。

 

打出市場の小槌菓子本舗から串昌として最後の営業を行っておられる店内の上の棚には和菓子作りに必要な型がオブジェとして飾られ、当時の名残りを惜しむお店になっています。

店主の「中路さん」は打出市場の生き証人のように当時を鮮明に覚えておられます。このお店は昭和の打出にタイムスリップすることが出来る最後の店舗なのです。

 

  串昌の中路さんに会えば打出商店街の話を聞かせてもらえますので、懐かしい方は是非、訪ねてみてください。