あしや温故知新VOL 168 松浜町芦屋の地名シリーズ34


 芦屋の里の代名詞と言えば松浜です。芦屋っ子は誰もが松浜公園と呼んでいた。(あしや温故知新VOL12で「松浜公園」を紹介)

「芦屋公園」が正式名称です。名前の通り、芦屋の市木「黒松」の多数あるのがこの松浜公園なのです。


 昭和の時代までは、この公園の直ぐ南側が芦屋浜と呼ばれていた名勝地でした。

公園の南には大正時代に作られた「芦屋遊園バス停」が現存しています。

さて、住宅地として、芦屋川を挟んで平田町と共に大正時代のころから和風・洋風の建築がたくさんありました。

 

 昭和のモダンボーイ白洲次郎さんもこの松浜町に自宅がありました。(あしや温故知新VOL4243白洲次郎のダンディズムで紹介)

 

   私は物心がついたころ、母が私の手を引いてこの松浜公園にお弁当を持って遊びにきました。ベンチサイドで広げるお弁当は格別です。


 松浜公園は子供たちが安心して遊べるように、それでもってアドベンチャー的な要素がしっかりとしていましたので私は大好きな公園でした。

   ジャングルジムも一回り大きく、大型の回転遊具も設置されていました。

  昭和戦後に公園の象徴として石組した山があり、ロックガーデンをイメージしたもので子どもが登れる鎖が着いていて上まで上がれるようになっています。


   その周りは池と川になっており、浅い池や川が水遊びの人気スポットになっていました。

 これが今でも少しだけ残っています。

 芦屋市にはこうやって、お猿や動物のいる公園、大規模な楽しい公園など、子ども目線でそれこそ「子どもファースト」な街として近隣市から羨ましがられました。

お昼は子供たちの遊び場で、夜は若者たちのデートスポットになっていました。




   昭和38年までは海水浴場で、北側が松浜公園なので海の家でもあった「ひまわり」のおでんやおうどん、夏のかき氷は名物でした。

   夜になると元祖移動売買車のホットドッグ屋が出ていたり、夜泣き中華そばがやってきていました。




  下町風情もあり、ゆったりとした公園は老若男女を問わず芦屋市民の憩いの場所です。

  また、この松浜公園には名門のテニスコートがあり、現東京都知事、小池ゆり子さんもここのメンバーだったと聞きます。(あしや温故知新VOI.14で紹介)

  ここのテニスコートは昭和31年の兵庫国体で昭和天皇陛下をお迎えしました。

「芦屋国際ローンテニスクラブ」は昭和309月に設立されています。

東京都知事 小池ゆりこさんもメンバーと聞いております。




 

 清風荘や海岸通りは作家、村上春樹さんの小説に登場し、文学は伊勢物語から続いているのです。

 現代になると海岸を散歩して芦屋川や芦屋浜で「恋話」の思い出を持つ方も多いでしょう。

公園のベンチは夜になるとカップル(アベック・・)の2人の世界でした。

  いつまでもこのままで、ふるさと芦屋が残ってくれることを願っています。

 

 松浜町は芦屋の歴史の中で輝き続けてくれるでしょう。

 

【参考文献】

芦屋市史 昭和46年 本編

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋郷土誌 細川道草昭和38

芦屋の里 島 之夫昭和4