あしや温故知新VOL153  意外と知られていない‼️阿保天神社(参照)✴️review懐かしのバックナンバー38


芦屋市指定有形民俗文化財に認定されたと昨日、412日に報告されました。


認定されたのは、

阿保天神社力石(あぼてんじんじゃちからいし)  


 力石は,農村や漁村などの村落社会において,男性の通過儀礼として行われた「力くらべ」等に使用されたものです。

 力石の重量は,二十~三十貫(75~112.5 kg)程度のものが多く,これは米俵一俵の重(十六貫〔60kg)が基準であると推測される。一方,300 kgを量る力石もあり,この ような重量の違いは持ち上げ方や移動方法など,力石の使用方法の違いを示していると 考えられます。当該資料6点の内2点には,それぞれ「五十〆」( 187.5 kg)・「四十二〆」 ( 157.5 kg)と,重さが刻銘されている(「〆」は「貫」の略字。1=3.75kg)

「力くらべ」等は多くの村落で行われていた行事であり,そのため,力石は全国的に点 数が多い資料である。しかし,本市で現在確認できる力石は本資料のみであり,農村であ ったころの芦屋市域の民俗行事を知るうえで貴重な資料です。(芦屋市教育委員会)


私も以前、投稿したものです。


あしや温故知新VOL153  意外と知られていない‼️阿保天神社(参照)

 

JR芦屋駅から徒歩が5分以内の上宮川町にある神社です。


 御祭神は阿保大神(阿保親王)、在原業平大神、菅原大神(菅原道真)

例祭は121で明治6(1873)、村社になりました。


 この阿保天神社の創立年不詳です。

 現存している木造瓦葺の本殿や拝殿は芦屋の生活文化史によると、昭和2085日の阪神大空襲により、京吉稲荷神社(鉄筋コンクリート造)を残して全焼した。


 昭和276月有志が復興に努力し、主神の菅原道真公のほかに阿保親王と在原業平を増祀して「阿保天神社」と改称しました。また、同様に六麓荘の氏神、大国神社も合祀されており、境内に摂末社として立派な鳥居も現存しています。


 本殿は流造銅板葺拝殿、入母屋瓦葺も造りです。


 松山興兵衛家から移築した「大明作天下泰平」の記銘のある石製の仁王像一対があります

 

 松山與兵衛氏と言えば昭和5年に購入して打出小槌町に移築した大阪の逸身銀行国の建物登録有形文化財の建造物が有名です(現打出教育文化センター)。


 🔴境内には元禄年間の鳥居の石材や猿丸吉左ェ門氏の紹介による阿保天神御神明の石製額が鳥居上に掲げられています。古式手洗鉢や力石五十貫と刻まれた卵形の六個の石がありますが、これは境内で青年たちが力比べを競い合った面影です。


 神社東側の南北道路に面して、消防・青年団・自治会活動に貢献した、「灘本忠左衛門氏紀徳碑 紫水庵主人書 大正1229日建之 村中」高さが3mもある花岡岩です。

紀徳碑とは、偉人や先覚者などの功績を褒め称える文章を刻んだ碑のことです。

 

 境内のご由緒碑には、

「阿保親王は第五十一代平城天皇の第一皇子在原業平朝臣公は親王の第五番目の御子です。

 阿保親王は、承和九年(八四二年)十月二十二日摂津の国、芦屋の里(其の館跡地が現在の打出町親王寺と伝えられています)で、御歳五十一歳をもって亡くなられました。

毎年十二月一日に阿保親王のご遺徳を偲び宮内庁が祭祀となって市内有志が合集い親王塚御墓前で御正辰祭が挙行されます。

 阿保天神社 宮司 総代表」

これが阿保天神社の紹介です。


 阿保大神(阿保親王)は人望があって、地域から愛されお祀りされているのですからそのご利益は測り知れないでしょう。

在原業平大神は伊勢物語で女性にモテモテの男性です。恋愛運もばっちりでしょう。

そして、菅原大神(菅原道真公)は学問の神様です。学力向上、合格祈願のご利益があります。


皆さんも一度、参拝されてはいかがでしょう。


 【参考文献】

打出史話 発行 兵庫県武庫郡精道村  著者 天王寺谷勘太夫 15 ・6発刊

芦屋市史 昭和46年版

芦屋市史 昭和31年版 本編

精道村のあゆみ 芦屋市教育委員会

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋の里 島 之夫昭和4

あしやの地名をさぐる 芦屋市文化振興財団

『芦屋郷土誌』細川道草、芦屋史談会1963