あしや温故知新VOL165  精道町芦屋の地名シリーズ31
 
 芦屋小学校は(明治5年創立)は明治19年(1886)に精道小学校に呼び名を変えました。精道小学校は間もなく創立150年を迎えます。
「養精修道」の2つの文字からなります。
 
町名の精道はこの小学校のある場所が由来です。

 江戸時代には、打出・芦屋・三条・津知の4つの村が明治22年(1889)ひとつになって出来たのが「精道村」です。村の名前が精道小学校からなので驚かれると思いますが、創立が明治19年で新しくできた村の方が後なのです。

 大正12年6月(1923)に現在の市役所北広場に当時、日本一と言われた鉄筋コンクリート造の精道村役場が建設されました。総工費63,000円。市役所が手狭だった昭和35年には北館が完成し、その後は消防や教育委員会が利用していましたが、昭和58年(1983)に解体されています。

 実に勿体ないことをしました。
今残っていれば、大正時代の建築物として文化財としても、利用方法はいくらでもあったことでしょう。
 現在はこの銘板が模型の中に納められ、市役所北館B1ロビーにひっそりと置かれています。模型製作は職員の森本さんです。 

 この辺りは昔は小字名の樋ノ口新田と言われ、昔からある田畑でした。
明治になって、鉄道や電灯が設置され、学校・幼稚園・役場・郵便局などの整備が行われたのです。
 この精道町は住宅地としても、抜群の環境にあったと言えます。
 駅・商店街・役場・郵便局には徒歩で数分にありますし、住宅地として優れており、人気も高かった地域です。

 ただ、この地域から古代の遺跡などは発見されておりませんので、明治から急速に発展した町であろうと考えられます。
 
芦屋市の中心地として精道町は長く活躍する地域です。