✴️あしや温故知新VOL.27 すごいぞ!三八通り&本通り!甲陽市場!✴️懐かしのバックナンバー35


芦屋市最大の一大ショッピングセンター街だった。

「本通り商店街」「三八通り商店街」「甲陽市場」それが揃っていた茶屋之町は活気のある商業地だった。


「本通り商店街」は芦屋市内で最も歴史が古く、阪神電鉄の開業当時、芦屋駅の設置と同時に明治38年、(1905年)開設されました。大正12年~13年頃には、「本通り商店街」と呼ばれるようになります。


 「三八商店街」も、「本通り商店街」を核として形成膨張していく地域として発展し、昭和38月に組織化され、その年月にちなんで「三八商店街」とされました。1969年のデータでは69店舗があったそうです。

 夏季の月々38の日に特価販売の夜店も営まれ賑わいました。


 「本通り商店街」と「三八商店街」を東西に連絡していた「甲陽市場」が大正14年(192512月に開設されています。


 この三八商店街にはあまり語られることがない歴史があります。

 戦後、この夜店や特売販売市は失業者対策として対象者にも斡旋されて露店営業されていましたが、逆に人気を呼び色んなお店が並んで、3日と8日が日曜日にあたる日は一大イベントになっていました。


 その相乗効果は芦屋市最大の商店街にももたらされていました。

 しかし、露店営業の又貸しなども見られ、この営業に違反者も出たりしたようです。


 また、1975年の春、この商店街の経営者に芦屋市は市道にはみ出して営業しているのは「不法占拠」で撤去するように求めました。


 長い期間使用していたのですが、その間、一切の話し合いもなく、ある意味、突然通告したのですから商店街は大騒ぎになりました。

  しかし、芦屋市の市民の間にそれほどのトラブルがあった訳でもなく、当然商店主側も市役所とじっくり話し合って解決すればいいと考えていたようです。


 しかし、芦屋市側は問答無用の強硬な姿勢でした。道路法に基づく商店の「除却命令」をだすための聴聞手続きを強行してしまったのです。


 その結果、強行手段で店舗を撤去する手続きに着手してしまいます。

 このままでは営業の存続も難しくなると考え、神戸地方裁判所へ商店の除却命令の執行の停止を求める裁判を起こしました。


  神戸地方裁判所は、商店主側の言い分を妥当として、芦屋市にストップをかけました。

 裁判では芦屋市は芦屋市道と商店主達の店舗敷地との境界をはっきりさせるための官民境界の確認する手続きをしていないところが多数あることが判明し、今後芦屋市道と店舗の敷地の境界を確認する作業を進めていくことで合意して裁判は終わりました。


  その結果、「三八商店街」は新たに「三八通り商店街」と呼ばれるようになり、その繁栄は長く続いていました。


   しかし、阪神淡路大震災で大半が全壊し、生まれ変わった通りはその面影は残しているものの懐かしい甲陽市場もなく、かつてのあの一大ショッピングセンターを取り戻すことは無かった・・・。


除却命令とは、建築基準法に違反している建物や保安上危険な建物等について特定行政庁は除却の命令をすることができる。