あしや温故知新VOL 162 茶屋之町 芦屋の地名シリーズ29

 

 芦屋村誌(1884年発刊)には、西芦屋・東芦屋・山芦屋・水車芦屋・茶屋芦屋・樋口芦屋・浜芦屋の七つの村を総称して芦屋村という記述がされています。


 茶屋之町は西国街道がある茶屋芦屋からついています。


 古い地図には西国街道が芦屋村に入り、国道2号線に交わる場所が茶屋之町なのです。

この街道の重要性は「あしや温故知新VOL8384西国街道」で紹介しました。

道中に旅人が休息する茶屋があったのではないかと思います。


 大桝町と同様に、大正から昭和初期はのどかな田園があった場所ですが、昭和3年に三八(さんぱち)商店街が誕生しています。(あしや温故知新VOL27 三八商店街で紹介)

「本通り商店街」と「三八商店街」を東西に連絡していた「甲陽市場」が大正14年(192512月に開設されています。

 

 戦後、この夜店や特売販売市は失業者対策として対象者にも斡旋されて露店営業されていましたが、逆に人気を呼び色んなお店が並んで、3日と8日が日曜日にあたる日は一大イベントになっていました。

 

 それとなんと言っても「芦屋会館」通称アシカン!という映画館があったのも茶屋之町でした。  茶屋之町56番地で昭和25年(1950年)415に開業された映画館で現在の県立芦屋高校西側の道路を北に上がったところにありました。


  勿論、封切館として名作の洋画、邦画が上映され、満席や立ち見が出るほどの市民の娯楽施設でもありました。


 お隣の大桝町の寿劇場は火事で焼失し、当時の芦屋市には娯楽施設がなかったことから、愛市会と近隣商店街の協力で昭和25(1950)415に開館しました。


 1951年(昭和26年)に『細雪』を上映した際には、一日に3000人もの観客が集まって長い行列を作りました。1952年(昭和27年)に株式会社化を行ったのですが、1959年(昭和34年)頃から経営難となり、1970年(昭和45年)1130に閉館しました。


 「アシカン」と呼ばれて芦屋市民の絶大な支持をされ親しまれました。

 

  映画監督で芦屋市立精道中学校の卒業生の大森一樹さんと小説家の村上春樹さんは芦屋市で育ちました村上春樹さんは芦屋会館でジェームズ・ボンドの3本立を観たことがあるという。

大森一樹さんは何度も足を運んで映画鑑賞を楽しんだと言っています。

 

  このように、古くは西国街道の分岐点として賑わい、昭和の時代には、三八商店街や本通り商店街、甲陽市場、主婦の店などの商業の中心地でもありました。そして、芦屋唯一の娯楽施設であった映画館「アシカン」があります。


 最近では、茶屋之町の中央を通るさくら通りは、沿道にはおしゃれなお店やカフェ・人気ケーキ店が立ち並び、若者の人気スポットになっています。

 

 JR芦屋駅南再開発が完成すれば、大桝町・公光町・宮塚町などを回遊しながら阪神芦屋駅まで人気ショップを歩いて散策できるという楽しいエリアが誕生するでしょう。


 西国街道や昭和の人気ストリートを再現できるチャンスが目の前にあるのです。

 

 

 【参考文献】

芦屋市史 昭和46年版

芦屋市史 昭和31年版 本編

精道村のあゆみ 芦屋市教育委員会

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋の里 島 之夫昭和4

あしやの地名をさぐる 芦屋市文化振興財団

『芦屋郷土誌』細川道草、芦屋史談会1963

芦屋市の昭和 樹林舎 2018年発行