あしや温故知新VOL160 千種人形(ちぐさにんぎょう)あしや人形
芦屋婦人会が千種人形を作り始めたのは昭和26年のことでした。
小萩人形を元に荒木良氏が千種人形として完成させる。
昭和29年初代廣瀬勝代が芦屋手工芸協会設立
昭和33年この年より千種会も一員として東京三越に出品。
昭和36年この年より大阪大丸にて毎年出品。
昭和58年荒木良(1900~2001)が二代目会長に
昭和63年この年より芦屋大丸に毎年出品。
千種人形は、山口県萩市に疎開していた松本勝子さんが、萩人形の魅力を芦屋に小萩人形を持ち帰ったのが始まりです。その製作法も芦屋婦人会に伝えたものです。
荒木良氏 (1900~2001)が工夫を重ねられています。 萩の庶民の風俗を主題とした小萩人形に、芦屋のセンスと気風に合わせ、品の良さを追求した艶やかな四方人形として完成させました。同好グループ「千種会」荒木会長は昭和38年には会員200人になり、種類も100以上になり、素朴な日本人形として賞賛されています。
昭和37年「あしやこけし」と称する約5㎝の小型人形を制作し、東京三越の全国民芸品展示会に出品をして、見事に入選し、その後、注文が殺到したものです。
出展者は荒木良、浜田きよ、新村喜美たちの記録が残っています。
そして、当時の兵庫県連合会婦人会長 廣瀬勝代さん(あしや温故知新VOL39で紹介)により「千種人形」と名づけられました。
千種人形の特徴は女性のうなじの部分と言われています。少しずつ丹念に磨きをかけて艶を出すものらしく、そこの工程をマスターするのに何年もかかると紹介されています。
荒木良氏が伝承者として現在はお弟子さんの森山幸子さんが積極的に制作活動をされています。
私が知っている「あしや千種人形」はその細工の細かさです。かんざしなどの小物も全て手作りで人形の背丈は約10cm以下の小さなものです。
この人形は海外でも紹介されていますし、昔話に出てくる主人公だと聞いていました。
「萩人形とあしや千種人形」は阿保親王よりの芦屋の里と毛利萩の里とのつながりも偶然ではないような気がしてしまいます。