あしや温故知新VOL158  平田町・平田北町

 芦屋の地名シリーズ25


 芦屋川から西側で神戸市との市境、北は丁度芦屋市立青少年センター・体育館までが平田と言われる地域です。

  昔、芦屋村と言われた頃は、平たんな場所にある田んぼという意味で「平田」と名付けられたものです。


 明治後期から昭和の始めには、芦屋浜に近く「白砂青松」の住宅地として宅地造成が行われ、広い庭園と松などが多い和風建築や洋館建ての住宅が増えてきました。


 芦屋市平田町の洋館・稲畑邸は「ひょうごの近代住宅100選」にも選ばれる名建築です。ホトトギス社 名誉主宰稲畑汀子先生は祖父「高浜虚子」の記念館も平田町にあります。

 

 芦屋川沿いには芦屋市のランドマークになっていた洋館がありました。


 設計は横河工務所で大正時代から昭和時代にかけて三井系の建物の設計を多く手がけた建築家、松井貴太郎氏です。木造2階建て。旧安部邸です。大正期の建物ですが、施工は不明です。

 洋館ギャラリーとして有効に洋館ライフが楽しめるように活用されているのも、この平田町に存在しています。

 芦屋出身の映画監督「大森一樹さん」(精道中学卒業生)も平田町の住民です。


 一度、対談した折には芦屋唯一の映画館:芦屋会館で盛り上がったことを今も懐かしく思い出します。


 この平田町から近くに「深江文化村」があります。この芦屋・神戸の海沿いは富裕層の邸宅が実際に数多く残っていますし、深江文化村には欧米の音楽家、ロシア革命を逃れ、大正8年一早く日本に亡命してきた孤高のピアニストのアレクサンダー・ルーチンを始め、ルーチンの異母弟でヴァイオリニストのアレクサンダー・モギレフスキー、ウクライナ出身の指揮者のエマヌエル・メッテルらがこの地に移り住んだことで西洋音楽による国際交流の場となりました。平田町の洋館では音楽会やコンサートが開催されていました。

 

 この平田町は俳句や音楽など芸術が盛んな町として、憧れの町となっています。

平田北町も芦屋川川沿いやさくらの綺麗な桜通り、郵便局などがあり、阪神芦屋駅にも近く、生活の利便性が高いのです。


昔からこの平田町の広いお庭でガーデンパーティをやっているとことがありました。

今も地域の活動を広いお庭でやるのはたぶん、平田町の伝統ではないでしょうか。

着飾らないさりげないご近所付き合いの平田町・平田北町だと私は思います。

 

一方で、平田町の西を流れるのが傍示川(位置を占める川のこと)がありました。これが神戸市深江との境界になります。本庄村が神戸市になるとは思っても見なかった精道村・本庄村のみなさん、残念でならないという方もおられます。


また、平田北町は43号線北にある芦屋郵便局のある町です。

桜並木が素敵な場所です。


 

【参考文献】

 

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋郷土誌 細川道草

芦屋の里 島 之夫