✴️あしや温故知新vol.21 業平橋の由来
✴️review 懐かしのバックナンバー24
「在原業平」今から1100年ほど前の芦屋にゆかりのある平安初期の歌人です。
阿保親王の第五皇子で、祖父は平城天皇、母は桓武天皇の皇女伊都内親王でバリバリの皇族です。業平は後に皇族から格下げ、在原氏を名乗りました。
六歌仙の一人に数えられた歌人で、容姿端麗で究極にモテたそうです。
芦屋が業平と深いゆかりを持っていたことは「伊勢物語」にも出てきます。芦屋の里に別荘を所有していたとあります。芦屋の別荘地の始まりは平安時代からだと言えるのです。
この芦屋で浜の美しい娘を愛し、歌日記本の「伊勢物語」を残しました。
芦屋川で業平は、宮廷の人々を招待し、宴会(歌合わせの会)をやったりしていました。
「むかし、おとこ、津の国、むばらの郡 芦屋の里にしるよしして、いきて住みけり、むかしの歌に 芦の屋のなだの塩焼いとまなみ 黄楊の小櫛もささずに来にけり とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ芦屋の灘とはいひける」
「芦屋の浜で塩を焼いている私の仕事があまりに忙しいので、あなたが逢いに来てくれたのに、いつも逢う時につけようとしている、つげの小櫛をさすひまもなく、あなたの元にやって来てしまいました。」
伊勢物語には芦屋の様子を表現した歌がたくさん出てきます。
業平町や芦屋川にかかる「業平橋」があり、市民センターの南側には在原業平の別荘跡があります。業平の歌碑も存在しています。
私が伊勢物語に出会ったのは中学生の頃、当時は「小さな恋の物語」の漫画が流行っていました。しかし、私はこの伊勢物語の解説本を読んで「在原業平さんって究極のプレイボーイやん」しかも、この物語、恋愛小説。
「へぇ、こんなの大昔に書いた人って?」
中学生が「異性(いせ?)物語を読んで」とシャレて書いた感想文を当時の国語の先生は満点をくれましたが、歴史の先生は烈火の如く怒っていました。
「在原業平さん。あなたのラブレターは昭和の歴史教師には通用しなくなってるよ」
(コメント)
写真は昔に描かれた在原業平さん。現代に描かれた業平さんのイラスト、業平橋。
私が歴史教室とやり合いになった精道中学校校舎。