あしや温故知新VOL148 芦屋にあった発電所(芦屋川発電所)

 

 明治22年精道村制施行当時の人口は3,285人でした。明治38年阪神鉄道が開通し、阪神間の交通は劇的に向上し、急速に住宅地として発展しました。


 明治41105日に初めて電灯がつき、その後、生活様式の変革から電力が必要となりました。大正26月阪神水電興業株式会社が資本金30万円を以て設立され、精道村に対して電力供給の申し入れがありました。

 当時の精道村の家庭電灯の供給は阪神電気鉄道株式会社の独占事業の観がありました。

その為か電灯使用料は他市域と比較して高額だったのです。


 芦屋谷の水力を利用して芦屋川に発電所を建設し、電力を精道村に供給しています。


 大正12421日阪神電気鉄道株式会社は阪神水電興業より、芦屋川発電所を買収しその傘下にしています。428から稼働させ発電を開始し、一般に電力供給をしています。


 大正13年精道村の人口は16,728人になっていました。大正8年のデータでは総戸数1,937戸に対して電灯は9,666灯が設置されその総数は飛躍的に向上し、住宅地化も加速していったのです。電柱は2,223本の内、街灯として227個が取り付けられており、安全な街として阪神間の住宅地としての牽引する立場になっていきました。

 

 しかし、昭和168月戦争の影響で配電統制会が公布され、昭和1732日に芦屋第一水力発電所を国家管理にし、同年41、資本金5億6千万円で関西配電株式会社が設立されています。

 

 さて、その芦屋川発電所は阪急芦屋川上流約1kmの地点にあって、奥池を水源とする水が50㎝のパイプを通して送られていますが、100kw程度の発電能力しかありません。

しかし、落差300mの鉄管も見られ、水力発電の研究資料として見学者も多かったと記録されています。


 その鉄管の腐食や土砂埋没より、昭和365月から発電を休止し修理を行っています。(阪神電気鉄道株式会社輸送奉仕の50年より)

 

 ただ、相当な年数が経過しており、原型をとどめていないと思われます。


 奥池浄水場の施設は芦屋川発電所を再利用されている部分もあるとされています。

 

 【参考文献】

芦屋市史 昭和46年版

芦屋市史 昭和31年 本編

芦屋郷土誌 細川道草

精道村のあゆみ 芦屋市教育委員会

神電気鉄道株式会社輸送奉仕の50

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋の里 島 之夫 昭和4