あしや温故知新VOL 147前田町 芦屋の地名シリーズ19

 

 芦屋川西側に位置し、国道2号線北側、JR東海道線以南に位置しています。

古くは田畑が多く、小字名は山手方面からみて前にある田んぼという意味になります。

傍示は三条村と芦屋村の境界を示しています。


昔はここに大竺堂の森があって、有名な二代目潮見桜が植えられていました。

 大正15年(1925年)には新教育で知られた私立児童の村小学校がありました。

 

 昭和2年(1927年)芦屋川沿いに仏教会館が開館しています。(あしや温故知新VOL81 崇信幼稚園と仏教会館)

 大正10年に丸紅を興した伊藤長兵衛氏は、実業家として大家を成した反面、精神教育運動の陣頭に立ち活動しています。記録では芦屋に「崇信会」をおこし、その活動の場としてこの建物を建てたとされています。

 

 会館の建物は、当時、奈良ホテル、大阪中之島公会堂など多くの名建築を手がけた片岡安(かたおかやすし)氏の設計によるもので、昭和2年に既に免震工法で設計建設され、丁度お堀の形をした船に建物が乗っている構造で、非常に珍しい事例といわれています。


 外観の特徴として、近代建築に東洋風・印度風の細部意匠を取り入れたデザインで,ベージュの外壁と緑豊かな外構は芦屋川の景観とよく調和している。阪神・淡路大震災後には,建築物と一体となった前庭を保存するため,曳家工法による移築が行われた経緯もある。竣工から90年を経過しており,歴史的にも価値のある建造物なのです。


敷地面積654.64㎡ 建物の延床面積 753.98㎡ 構造 鉄筋コンクリート造,地上4階の一際目立つ、建築物です。

この仏教会館の西横に西芦屋町から前田町の仏教会館の西を流れて川西町に入り、平田町を経て下流は傍示川に合流した川がありました。片田川と呼ばれています。


 昭和6年の記録によると「片田川は幅五尺、長さ八町余り、但し芦屋村悪水、川下は傍示川と申す・・・」また、片田川には石橋があって、これは深江村が支配していた。この川は昔は蛍の名所として名高く、播磨巡覧記には「片田川あしや川に沿いひたる細き流れなり、水絶ゆることなし弘法大師の呪するところなりといふ・・」

 

前田町は阪神淡路大震災で区画整理事業が行われ、新しい町として道路や公園が整備されました。

 

その中にあって前田公園はこの地域にあったお屋敷にあった灯篭や巨石が使われており、この地域の憩いの場所となっています。

 

 【参考文献】

芦屋市史 昭和46年版

芦屋市史 昭和31年版 本編

精道村のあゆみ 芦屋市教育委員会

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋の里 島 之夫昭和4

あしやの地名をさぐる 芦屋市文化振興財団

『芦屋郷土誌』細川道草、芦屋史談会1963