あしや温故知新VOI.15

「芦屋市立青少年野外活動センター あしや村」(芦屋村)


✴️review

懐かしのバックナンバー10


開村式はレクレーション広場でごはんの広場で食事の準備。

カレーライス・飯盒でご飯を炊く。


テントは大小屋で各自班ごとでもらってください。のアナウンスが流れる。

さあ、テント番号でテント設営だ。


夜は火の広場でキャンプファイヤーを行います。


各クラスでスタンツを準備すると・・・・。

そんなスケジュールを見るだけでワクワクする。

 

   クラス単位で芦有ゲート下から芦屋村・野外活動センターへ向かった。


   芦屋の子供たちは誰もが一度や2度は経験した野外学習場でした。


   中には手作りのフィールドアスレチックがあったり、タヌキのトンネル穴があったり、星の広場、青空広場もあった。


   私は小学校で初めて使ったディキャンプ!泊まりでのキャンプは精道中学校2年の時だった。


   ちょうど、その日がノストラダムスの予言書にあった地球最後に日と呼ばれた日にあった。当時はラジオ深夜放送ではこの話で持ち切りだった。(ヒットで!ヒット!バチョンと行こう)


    行くのは止めようかと悩んだのですが、どうせ死ぬなら仲間と一緒の方がいいだろうし、ノストラダムスの大予言の地球滅亡の日が確実に来たら思い残すことが無いように目一杯楽しんでやろうと思いっていました。


   しかし、予言を信じた友人の中には家から一歩も出ないと欠席する人も確かにいました。

 

   そんなこともあって、各テントではどんな悪戯しようかと相談が始まった。

 昼間に捕まえておいた蝉やカブト虫、煙玉を夜に他のグループテントに放り込んだりした。

 

 もう、大騒ぎになる。

 子どもぽい悪戯ですが、実に面白い。


 しかし、天然の川でカジカを追っかけたり、虫を捕まえたり自然学習には最も適した学習環境でした。


   多くの子供たちの笑顔と歌声、笑い声が絶えない、楽しい場所が芦屋野外活動センターだった。


   昭和40年初頭に財産区から土地を提供してもらい開設された公的施設です。

   しかし、阪神淡路大震災でこの野外活動センターが破壊されていた。水道管やライフラインに損害あったのが半年後の市内施設点検で解ったのです。


   当初は簡単に復旧できると考えていました。一方で利便性を求める時代の80年代には不便なキャンプ場を利用する人も徐々に減っていたこともあり、市内NPO団体や市内企業からの事業の引き継ぎを求める声もあったのですが、最終的に廃止を市が決定し、ついに芦屋野外活動センターは惜しまれながらも終焉を迎えたのです。


 夜空に輝く、星々を仲間と見た記憶は消えることはありません。