あしや温故知新VOI.20 「橋がない?橋の名前バス停留所?」

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懐かしのバックナンバーNo8


 芦屋市には永保橋という阪急バスの停留所があります。

 しかしこの場所には橋などはありません。


 何故でしょうか?

 これがしっかり答えられると芦屋達人でしょう。

 答えはもちろんこのバスの停留所付近に橋があったからです。

 

   1938年(昭和13年)73日から5日の豪雨による土石流や河川の氾濫で、神戸市や芦屋市などで約700人の死者・行方不明者を出した大災害がありました。

「阪神大水害」です。


 谷崎潤一郎の小説「細雪」でも描かれています。

 その時に流失した橋がありました。それが芦屋川にかかる「永保橋」でした。


  その石柱が南南東に約500m離れた松浜町で、ちょうど芦屋国際ローンテニスクラブコートの東にあたるそこの住宅の庭に残されているのが発見されました。


  芦屋市が先月29日、掘り出したのです。永保橋の永と保の一部が見えます。

「見つかったのは橋の四隅にある親柱の一部。建設時期は不明だが、明治17(1884)年の郷土誌「芦屋村誌」にこの橋に関する記録がある。市は歴史的価値のある資料として詳しく調べることにした。」産経新聞


 実はこの「永保橋」昭和13年に流された後に新しく造り直されていました。しかし昭和35年の43号線国道建設に伴い、新しい橋も撤去されています。

そうなればこの橋は紛れもなく、昭和13年まで存在していた初代「永保橋」というのであれば、当時の災害記録がほとんど残されていないのでめちゃくちゃ貴重なものになります。

 

    何故こんな所に流されていたのだろうと想像しますが、永保橋はあったのです。


 停留所は大正時代から「永保橋」を使っていたこと、名称変更も考えたようです。「芦屋公園北」とかの方が解りやすいでしょうが、それがあえて「永保橋」と使っているのは芦屋の温故知新に相応しいと思います。