あしや温故知新VOL146 清水町 芦屋の地名シリーズ18

 

 前田町の西隣の町です。JR東海道線と国道2号線に挟まれ、神戸市と隣接しています。

昔はここには東川と言われる大切な川が流れており、「水」と縁のある町です。

 

 この清水町は前田町と同じく、阪神淡路大震災で区画整理事業が行われました。清水公園は親水性の公園としてビオトープがあります。今も子供たちの人気スポットになっております。


 さて、清水町ですが昭和19年(1944年)1月に五反田・小里・六条の小字名が合併し清水町となりました。

 町名の選考会では、清水町以外には汐見町、芦若町、寿町、三津町の5つの案があったようです。


 清水という町名は六甲山の谷から流れてきた清水を井戸から汲み上げていた当時の町の様子から選ばれた町となりました。


 町名ともに地域に大切にされているのが、清水公園です。その伝説的な水に纏わるものが再現されています。

 小川が流れている様子が演出されている癒しの公園です。


 昭和7年の精道村の地図には、小字名五反田の清水湯(お風呂屋)や温室をもった芦屋花園があったようです。

 

 また、清水町の六条遺跡(ろくじょういせき)は、兵庫県芦屋市清水町に位置する弥生時代前期から近世にかけての複合遺跡が存在しております。

芦屋市清水町の南東部、標高約10メートル - 15メートルの場所に位置しています。

 

1987年(昭和62年)に実施された埋蔵文化財調査によって発見されています。遺跡名は、武庫郡精道村成立以前の旧四か村中の津知村の小字名により付けられた。発掘調査の結果、平安時代末から鎌倉時代前期にかけて12世紀 - 13世紀の井戸や「加」と書かれた墨書土器などが多数、出土していています、

元々、このあたりは古墳や遺構などが時々、発見される地域です。

現地の清水公園には解説板が設置されています。

 

公園内解説版には次のような文章が書かれています。


「本公園の敷地内には、古い川の一つである東川が流れていました。現在は、その水の流れをせせらぎとして再現していますが、江戸時代には芦屋市内の2か村(三条村・津知村)や神戸市内の3か村(森村・中野村・深江村)の農業用水源として重要な役割を果たしていました。

 また、平安時代後期~鎌倉時代前期(1213世紀頃)には、この周辺にも集落が営まれ、川の氾濫を防いだ護岸施設(堤)や伏流水を水源とした木組井戸などが築かれていました。

井戸からは12世紀前後の墨書土器(須恵器椀)や瓦器椀・土師器皿などが出土しており、当時の生活用具の実情が知られるとともに、井戸をめぐっての村人の祭祀など、当時の人びとの生活のようすなどもわかります。


 地下に埋もれたこれらの遺跡から、古代から中世へ移る頃の芦屋は、水の潤いのあった土地であることがイメージできます。水利の工夫とともに「清水町」の名にふさわしく、井戸遺構がまとまって発見された場所として、地下に存在する六条・清水遺跡はさまざまな歴史を物語ってくれます。」

 

これが清水公園で語り継がれる東川という川の伝説です。



 【参考文献】

芦屋市史 昭和46年版

芦屋市史 昭和31年版 本編

精道村のあゆみ 芦屋市教育委員会

芦屋の地名を探る 文化振興財団

芦屋の里 島 之夫昭和4

あしやの地名をさぐる 芦屋市文化振興財団

『芦屋郷土誌』細川道草、芦屋史談会1963