あしや温故知新VOL138 ジェーン台風とルース台風

 

昭和2593日(1950)襲来。


830日、硫黄島の南西海上で台風28号が発生。当時の日本はアメリカの占領下にあり、気象業務も米軍と共同で行われていたため、番号ではなく、アメリカ式に「ジェーン台風」と呼ばれることになります。1950年は暖候期を中心に台風の発生緯度が比較的高く、ジェーン台風も高緯度で発生している。最盛期は、中心気圧940 hPa、最大風速50m/sでした。

 

 台風は、9310時に、徳島県日和佐町(現美波町)付近に上陸しました。その後、台風は淡路島付近を通過し、12時頃神戸市垂水区付近に再上陸するころには芦屋市もその対策に追われていました。

 

 しかし、当時の街の防災力は貧弱でした。芦屋市の沿岸部は高潮が襲来し、被害が甚大になりました。

家屋流失31戸、全壊17戸、半壊19戸、床上浸水206戸、非住家流失33戸、防波堤破損6ケ所、河川護岸決壊2ケ所、漁船流失20隻、中破7隻、罹災者3,316人、死者は幸いなかった。


 実はこの台風で、私の祖父、福蔵は芦屋市漁協共同組合の組合長でした。

非流出家屋とは、浜で加工の仕事をするための工場や職人たちの寮です。

 流失した漁船には、叔父が使っていた「芦屋丸」「第一福丸」が含まれていました。

両船は戦後で内燃機関のエンジン少なく、川西航空機のエンジンを流用した漁船でした。

このジェーン台風が芦屋市の沿岸漁業を壊滅させてしまいます。


 叔父たちは戦地から帰還して、更なる試練を経験するのですが、「命があればなんだってできるだろう」と精力的に立て直しをしたと聞きました。

 

 昭和26年(19511015 ルース台風。

109に、グアム島の西海上で発生した台風15号は、発達しながら西北西に進み、12日には沖縄の南海上で924hPaにまで発達し、12日午後には進路を北から北北東へと変えた。その後13日夜に沖縄本島と宮古島の間を通過して東シナ海に入り、1419時頃に鹿児島県串木野市付近に上陸。上陸時の勢力は935 hPaと、後に統計開始以降で4番目に低い中心気圧で日本に上陸した台風となりました。


 この台風は阪神間にも猛烈な風と強烈な吹上効果で高潮を発生しました。

 床下浸水35戸、非住宅流失2戸、打出南宮町の川崎製鉄南宮寮で集団赤痢が発生しています。


 この台風の時も、芦屋市漁業協同組合の所有している漁具収納倉庫が流失しています。

叔父たちは、生前私に台風の怖さや高潮・高波の防御方法を教えてくれました。


 この2つの台風と昭和36年の第二室戸台風の被害から防潮門扉や水門などが芦屋市でも急ピッチで対策を講じることになりますが、地元の有力者の中には防波堤の工事費用を負担するなど、積極的に防災支援を行っています。

 

 第二室戸台風はあしや温故知新VOL106(第二室戸台風 昭和36年)で紹介した通りです。

 


芦屋郷土誌 細川道草

芦屋市史 昭和31

芦屋市勢要覧 昭和33