あしや温故知新VOL134 広報あしや 創刊

 

「皆様の財政顧問、金庫室三和銀行 国道芦屋川東一丁濱側」


 昭和24年「芦屋市市勢要覧」の表紙裏1ページ目の広告が目に留まります。指定金融機関の広告から始まっていました。

市勢要覧の巻頭、本書は、昭和17年以降、戦時中および戦後休刊した「市政要覧」を復活再利活用し、その後の市政の動向を編集したものです。


 昭和24年・・・71年前のものです。現在は使われていない漢字が多いために当用漢字に書き直してこの温故知新は書くことにしました。


 さて、P5に終戦後の昭和2011月に行われた人口調査によれば、疎開者、未復員者の関係で31,098人に減少したが、戦後2411141,539人になっています。


 同年10月末では、結婚204件、離婚26件、出産814名、死亡274名、死産73名、自然増加敷540名と内訳も掲載されており、昭和33年の市勢要覧も同様ですが、現在ではオープンにされない情報が多数掲載されています。


 当時の市議会議員数は30名です。現在の21名からは随分と多い数ですが、議会史を読むと、行政・市民・企業・商工業・農水業の連携を議会が中心になって議会が積極的に行政運営に携わっていた様子が伺えます。

 

 保安関係営業者一覧表(昭和246月調べ)によると旅館9軒、飲食店52軒、喫茶店28軒、料理店7軒、カフェー9軒、キャバレー2軒、古物店197軒、質屋17軒が芦屋警察調べとして記載されています。

 カフェーやキャバレーなども芦屋にあったのです。


 場所や店名が市勢要覧に掲載されていないかと、最後の広告のページを確認すると屋号は「RCC」(芦屋市山手町48)」「日本唯一!内外人の高級社交クラブ」が目に留まった。


 市勢要覧に広告を出しているお店の中で、現存しているお店は「阪急前通リ西一丁 芦屋銘菓 杵屋」「前田町18 カメラと材料 ハナヤ勘兵衛」さんの2軒のみでした。



 

 高級料理旅館「芦屋荘」「芦月荘」「清風荘」や懐かしい市場の名前広告を出されています。

 

 同時に、この昭和24年に広報「あしや」が創刊されています。

 

 昭和20年代の芦屋市は財政的には裕福とまではいえないものの、先にどのようなグランドデザインを描こうかと悩んでいた時期です。どうも活路は観光にあったようで海にはヨットハーバーや国際ホテル建設など猿丸市長は盛んに観光をキーワードにして「広報あしや」にプランの一端を発信していました。

 






  つまり国際文化住宅都市建設法は「国際観光都市建設法」を本来、行政が目指していたものなのでしょう。戦災復興と街づくりのために国の法律を取り込むなどしたたかな構想だったのです。(VOL6162参照)


 猿丸吉左エ門芦屋市長が昭和24年創刊の「広報あしや」に「真夏の夜の夢」と称して、寄稿されています。


 その中で、「豪華客船で米国大統領が2千トンのヨットで芦屋海上ヨットハーバーまでやって来て、芦屋ストランドホテル(架空)の描写がある。その中に芦屋キネマの世界的女優のスターたち50人と歓迎パーティをやっているのです」(VOL45芦屋キネマ撮影所)


 この市勢要覧には、芦屋の未来像が書かれています。奥池キャンプ場やゴルフ・カントリーハウス奥池遊園地。有馬までの横断道路(芦有道路)高燥住宅地帯(奥池周辺)奥池温泉、芦屋川上流には発電所。


 城山遊園地・動植物園からロックガーデンまでのロープウェイ、三条温泉、芦屋川付近には、図書館、公会堂、芦屋川河口には水族館と市営プール、海水浴場、打出浜に国際ヨットハーバー、観光ホテル、テニスコートとプールなどの観光計画の図面が添付されています。


 芦屋の未来を市長がリーダーシップを以って、市勢要覧や「広報あしや」を通じて市民に方針を説明しています。

 

 昭和24年は実は芦屋市が戦災復興から立ち上がり、未来の芦屋市のグランドデザインを描いた年なのです。