あしや温故知新 VOL133 特別編「100年のときの雫 津田静乃著 市民の目で見た翠ケ丘町
「白寿を迎え、過ぎてきた一つ一つの出来事が(いいにつけ悪いにつけ)
全部たいせつでいとおしい雫のように思える。
懐かしい雫たちに、いま、つつまれている。」
100年の歴史を・・・・素敵な本に出会いました。
兵庫県武庫郡精道村打出字谷田。
ここが翠ケ丘町。
翠ケ丘は住民がよびならわした通称であり、それが昭和15年、村から市になったとき正式名称になったものである。
ここから津田さんのヒストリーが始まっています。少しだけ、内容をご紹介します。
「翠ケ丘町」という町名は町内の阿保親王塚古墳に茂る「翠松」に由来するという定説でしたが、肝心なことはこの町名が地域の皆さんの愛称・通称だったことにあります。
また、大正末期から昭和初期にかけて、田地や緑地の多かったこの丘陵地帯で、かつての小字の中には小口谷、久我谷、前ヶ谷、大谷など「谷」とつくものが4か所含まれることから周辺部は崖地の谷地形であったようです。
谷へ盛り土を施して新たに郊外住宅地を誕生させたことも、津田さんの「小高い丘陵地で宅地に段差があるために、石垣を積んで屋敷を建築した」として周りが住宅化していく様子から貴重な街の形成過程を解き明かすことができます。
是非、芦屋ファンの皆さんに読んでいただきたいもので溢れている内容で構成されています。
大正9年生まれの津田さんが作った絵更紗のヨーロッパの風景や日本の伝統美も綺麗です。
しかし、戦争の話、原爆投下や大阪府女子専門学校、阪神大震災、私の身内であろう漁師さんとの楽しい話・・夏目漱石の友人や司馬遼太郎の父上、甲南女学校時代の友人の方のお話、お山の幼稚園の様子、三越や阪神電車と阪急電車などなど、実に明確な記憶で綴られています。これにはびっくりでした。
「細雪」に登場する重信医師が馬で往診しているお話は聞いたことがありましたが、この本では、詳しく書かれています。他にも有名人の方々が登場されています。
一言で言い表せることではありません。津田さんがご自身の目で見て感じたことを実に見事に表現されています。
100年の想いが凝縮していました。
淡々と描かれる描写や風景が大正から平成にかけて表現され、その全てが全く色褪せないでいるので、不思議な世界感です。
この「100年のときの雫」は芦屋にあった真実の物語です。皆さんにも津田静乃さんの世界を是非、読んでいただきたいです。
実はここに描かれている芦屋の風情を時々、訪ねております。
原風景が違っていても、目をとじると古き良き時代が頭の中に浮かび上がって来ます。
芦屋よ!いつまでも!