あしや温故知新Vol 119 芦屋市の花と木

 

  渡辺万太郎 第6代芦屋市長は「昭和39年(1964年)9月~昭和50年(1975年)3月」

市制30周年の式典で市長は芦屋市の独自性の主張として「公園都市」を宣言した。


 芦屋市史にはこう書かれています。


「住みよい芦屋」から「住みたくなる芦屋」への街づくりが提唱されたのが昭和42年(1967年)です。その根拠になったのが、昭和45年(1970年)の「市政総合世論調査」の結果からでした。大半の市民が「住み続けたい」と芦屋市への愛着を表明したのです。


「住みたくなる街」としての方針永く芦屋市に受け継がれたものとなったのです。

昭和39年(1964年)5月に芦屋市民憲章を制定しています。

 その年9月に「愛情市政」を掲げる渡辺市長が誕生していますので、その市民憲章を具体的に推し進めるという使命を持っていたのです。


 実際、正式な宣言でなく、市民憲章に準じて「公園都市」と長が言ったというものです。


 平成16 2004年) 1月に「芦屋庭園都市」が山中健市長によって宣言がされていますので、約37年ぶりにやっと「公園=庭園」が残されたということになります。

 

 市政施行30周年の記念事業として花や木をいっそう大切にして、まちを緑と花でつつむ市民憲章を一段と進めるために「近畿の公園芦屋」の裏山六甲山麓に群生する最も芦屋と縁の深い、松とつつじを選んで「市の木」「市の花」を制定しました。「芦屋市史」(昭和461110日発行)

 

 市民憲章のひとつに「わたくしたち芦屋市民は、自然の風物を愛し、まちを緑と花でつつみましょう。」とあります。


 昭和42年に行なった世論調査でのアンケートの結果をもとに市民憲章緑と花の専門部会に諮問し同専門部会の意見を聞きました。

「市木 クロマツ」はすぐに決まったと聞いています。

 

 松の景観をなくして芦屋を語ることはできません。芦屋公園や芦屋川、芦屋浜海岸には今も多くの黒松が存在しています。江戸時代の絵図でも芦屋の浜には黒松林だったことが描かれています。昔から芦屋は黒松の名所だったのです。


 木のなかでも形成がすぐれ、害虫に侵食されにくいクロマツを市木に選定されました。

 

 一方、花の方ですが、つつじは品種も多く、漠然としているのではないかという意見がありありました。他にも「さくら」「バラ」「つつじ」「菊」「シラン」などの候補もありました。


  市の世論調査では、

芦屋市民に親しめる花で身近にある花を選ぶ専門部会は芦屋らしい花をと考えて、

日本の植物学※1牧野富太郎博士も「ただ三葉千萬人をおびき寄せ」と「ツツジ」に一句を詠まれて絶賛された花がありました。


 この花が有名な「※2コバノミツバツツジ」だったのです。

 これに着目した選定委員は当時には六甲山でもよく見られた華憐で美しいこの「つつじ」が芦屋市を象徴するには適していると市制30周年記念事業の1つとして、制定したものです。

 

 しかしこの「コバノミツバツツジ」は現在、芦屋市内で群生している場所もなく、あまり見ることができない花となっています。

復活することを願っています。

 

 ※1牧野富太郎博士は「日本の植物学の父」といわれ、多数の新種を発見し命名も行い、近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして『牧野日本植物図鑑』に代表される多数の著作が残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得て、生まれた日は「植物学の日」に制定されています。

 

2西宮市には阪神タイガース神社として有名な廣田神社にコバノミツバツツジ群落があります。南々東の山麗に廣田山がありますが、廣田神社の外苑内約2万平方メートルに亘り十数カ所に分かれて大きな群落を形成し、総株数は約2万株にのぼると推定されています。さらには昭和44年兵庫県指定天然記念物に指定された。西宮市の市花は「さくら」です。