あしや温故知新VOL.116 芦屋市への鎮魂歌、米軍の記録より!7
芦屋市は今年で80周年を迎えます。
今日5月1日、連休の中で初夏に向かう、いい季節になっています。
しかし、コロナ対策のために外出を控えるよう、自粛が続いています。
さて、暗い戦争時代の昭和史ですが、単なる記録が人間の目で確かめると随分と違うことが分かります。
「たゆまぬ平和への歩み」芦屋市発行を見ると貴重な資料が添付されています。
「アメリカ軍史料から見た芦屋市域への攻撃」と題して、いくつかの米国報告書が和訳されていました。
そこには「芦屋市域は,B29による爆撃を1945年(昭和20年)5月11日,6月5日,15日,8月6日未明の焼夷弾攻撃と計4回も受けている事が克明に書かれています。
これらの爆撃を,アメリカ軍の「戦術作戦任務報告書」(Tactical Mission Report )から見ると、1945年(昭和20年)3月10日未明の東京大空襲から無差別焼夷弾作戦がはじまっています。
この作戦は,まず大都市に対して行なわれ,6月15日大都市が壊滅した後は,日本各地の中小都市がその目標となりました。また,中高度からの軍需工場への通常爆弾による昼間攻撃も加えられたのです。
アメリカ軍の5月11日の攻撃は,芦屋市域への最初の空襲となります。
これは,川西航空機甲南製作所(武庫郡本荘村,神戸市東灘区青木地区)を第一目標とした通常爆弾攻撃で,投下爆弾は,500ポンド(約250キロ)によるものです。
投下時間は,午前9時53分から10時3分にかけての10分間でした。この日の芦屋市域への爆撃は,この川西航空機甲南製作所をはずした爆弾によるものでした。
6月5日午前7時22分から8時47分,神戸市東部への焼夷弾攻撃が行われました。
この攻撃の結果,損害は神戸市街地だけでなく,御影,西宮にまで及びました。
2回目の芦屋市域への投弾は,この攻撃の余波によるものです。
6月15日に目標となったのは,大阪,尼崎の市街地です。この日の午前8時44分から10時55分にかけて,B29爆撃機444機が,焼夷弾攻撃を行っています。この焼夷弾の一部が,芦屋市域にも落ちたものです。
「戦術作戦任務報告書( Tactical Mission Report )」とは,グアムにあった第21爆撃機軍団(1945年7月16日,第20航空軍に改編)の司令部が,爆撃を行うたびに作成した報告書です。
8月6日未明,西宮・御影の市街地に焼夷弾攻撃が加えられます。
これが後にいう阪神大空襲です。この日攻撃に参加したB29は,グアム北飛行場を飛び立った第314航空団の4群(先導機17機,レーダー対策機2機,風程観測機1機,救難機1機を含む134 機) ),サイパ ン・アイズリィー飛行場を飛び立った 第73航空団の4群 (レーダー対策機2機,風程観測機1機,救難機1機を含む135機)の計269機でした。
当時アメリカ軍は,目標にあらかじめ中心となる点(平均弾着点)を決め,そこに優秀なレーダー操作手が先導機に搭乗し投弾させ,その火災を目印に後続機が投弾するやり方をとっていました。
初期的な方法でも「ピンポイント爆撃」をしています。
報告書には,芦屋の地名は記されていませんが,航空写真に示された3か所の平均弾着点のうちの1か所は,明らかに芦屋です。
戦闘命令によると,芦屋とみられる地点には,第314航空団の4群のうち3群が,攻撃を行うことになっていました。搭載弾は,焼夷弾を内蔵したE46集束弾,爆発すると即座に火災が発生し,次の機の目標を示すAN-M47A2、,100ポンド焼夷弾,人員殺傷用のT4E4破砕 集束弾 AN-M46照明弾でした。
さらに航空団あたり2機の先導機は,500ポンド通常爆弾を搭載するものとされていました。
これらの爆弾は芦屋市や阪神間を壊滅させたのです。
米国では、戦略に関する情報が開示されています。現在、これらの分析を行って見ると色んなことがわかるようになりました。
今回は、どうやって芦屋市が爆撃されたのかを資料として紹介しました。
そして、過去のあしや温故知新に先に書いた、芦屋市民のみなさんの証言を読むとその時代が如何なる狂気であったか?
その状況が理解できます。
この苦しい時代を経験していない者が簡単に評価できません。しかし、その後に芦屋市の戦後復興に市民の皆さんが、いち早く立ち上がったのは故郷芦屋への愛情であったと私は考えています。
阪神淡淡路大震災でも、市民力で復興が他市より早くできました。
今回のコロナ被害や対策も時代が違うともきっと立ち上がって行く!それが芦屋市民の底力だと信じています。
こころをひとつに…
One Heart Stay Home
(いとう まい市長)
参考資料
1.「たゆまぬ平和への歩み」芦屋市発行
2.芦屋市史
3.米国戦略爆撃調査団報告「神戸における空襲防護と関連事項に亘る現地報告書」「1945年兵庫県における空襲」
4.アメリカ軍の「戦術作戦任務報告書」(Tactical Mission Report )