あしや温故知新vol105  謎の郵便番号??

1968年には時代の流れを感じてしまった出来事がありました。

この年の7月1日に郵便局が郵便番号制度を導入することになったのです。

 郵便番号とは郵便物の宛て先を簡素化した番号で、都道府県、市区町村の集配郵便局別に番号が割り当てられて、番号を読み取り機械で振り分けることで効率よく郵便物を配送できると言うものです。

 欧米諸外国でも独自の郵便番号制度が用いられていると新聞を賑わせていた。集配事務を行う郵便局に3桁(123)または5桁(123-45)の郵便番号が導入されました。

 郵政省の説明では、これまで県名などを書いていた郵便物は市町村からでいいと言う。導入された当時、芦屋市は659だけだった。「659番目なんや」
当初は不思議な気分にもなった。
ところがこの郵便番号で芦屋市は揉めた!

 芦屋市は打出と言う冠が着いた町名が多かったのです。

 昭和19年(1944年)には、打出小槌町・打出春日町・打出若宮町・打出西蔵町・打出南宮町・打出浜町・打出大東町・打出翠ケ丘町・打出親王塚町・打出楠木町・打出呉川町などが存在していた。

 ところが、長いと言う理由と郵便番号が導入されるのをきっかけに、打出を外す案が示されたのです。当時は利便性を追求するあまり、歴史や伝統・文化などを軽視する傾向もあった時代です。

 昭和43年(1968年)には打出南宮町と打出大東町の各一部が打出町となり、その後、住居表示実施に伴い打出小槌町以外の「打出」を冠する町名から「打出」が外されてしまったのです。

 この打出小槌町の打出も外す案だったのですが、地域住民の皆さんの打出小槌に対する愛情は「反対運動」となり、結局この「打出小槌町」が唯一現存している町名なのです。

 私は「打出呉川町」で生まれて育って「打出浜町」に転居したのですが、それほど「打出」に拘っていなかった。寧ろ、便利で字を書く数が減った方がいいとも思ったのですが、この打出小槌町の町名保存運動をされた代表の方(故人)が学校に来られて、ある事を教えてもらいました。

「街は永遠に故郷として残るんだよ。建物や環境は変わるけど、変わらないものがあるとしたら、それが町の名前なんだね。何でその町に名が付いているのか、郷土史にも興味を持ってください」そして「摂津名所図会」によると氏神である天満宮(打出天神社)の社辺の金津山(金津山古墳)には阿保親王黄金埋納伝説があり、「朝日さす入日にかがやくこの下にこがね千枚瓦千枚」の俗謡があった話も聞かせてくれた。

 当然、数名でその金津山古墳を見にいった。お金が埋まっているような雰囲気ではなかったが・・・

つづく

写真は打出天神社 打出公園 通称さる公園