櫻井翔主演「君に捧げるエンブレム」その2

 

「あらすじ」

 そんな和也とミキの結婚を両親に認めてもらうホテルのロビーが映る。

その姿を週刊誌の記者が写真撮影しようとする。


 それを静止する男性がいう。

「人の不幸がそんな面白いかね・・・」

その紳士は正義感だろう。

でも「車椅子の人は不幸だ・・可哀想だ」というものだ。これは車椅子になった人なら多かれ少なかれ誰もが経験することだ。


「不幸=車椅子」ではない・・・それは不便なだけなのだ。そう言っても強がりにしか見えないだろう・・・・。


 これもみんな経験するものだというが、「走り回っている自分の姿」を何度夢に見たことだろうか?

 私は今でも野球やラグビー・・テニスをやっていた時に戻りたいと願うことがある。

叶わぬ夢と解っていても・・・。

 

「俺なぁ。立ち飲み屋でも座って飲めるメリットがあるし、映画も立ち見席は皆無だよ」

 その逆をやりたくて仕方がないのに、そう言ってしまう。


 ドラマは完全に私と重なってしまう。


 さて、和也は車椅子バスケに出会う。そのハンドリングを相当練習しただろう。それは櫻井翔という役者魂だと私は思う。脊損障害者を演じるのに綺麗ごとでは済まないと彼は知っていたのだ。


 その証拠がキャンバー角度の大きいㇵの字型の車椅子を軽々と直進操作しているのには驚いた。


 そしてライバルに出会う。

 

 必死で練習するが、やり過ぎて「褥瘡」が悪化し入院「あなた普通の身体じゃないんだから無茶しないで。敗血症にでもなったら・・」

「解っているんだ。自分が障害者だってことほんとは一瞬だって忘れたことないよ」そっと呟く和也。

 

 ミキもその言葉に何も言えないのだ。

 このドラマの中で「クラス1の脊損障害者が羨ましい」向井大隼役の市原隼人さんが簡単に言ってのける台詞があるが

 「脊損障害者が羨ましい・・・」このドラマのテーマの一つだろう。

 

 演じている櫻井翔という役者の凄さはこのシーンに見られる。「一番遅くて点にならないようなこのクラス1のどこがいい・・・」  


 意味が解らないのは当然だった。一番早くて点を取る役目ではないことが一番重要な車椅子バスケ!


 その理由を探し続ける和也がそこにいた。

私たちも「痛みがない分を羨ましがったり、痛みが懐かしいと言い合ったり・・・」一般の人が聞いたらぞっとするような会話をよくやります。


 命のやり取りをしている障害者仲間は明日の命を心配する。それが解っているからこそ、誰もそれを尋ねたりはしない。


 そんな会話もこのドラマでは描かれていました。

 このドラマは櫻井翔という役者が車椅子を使いこなしていることで成り立っているのです。



つづく