あしや温故知新vol102 打出だんじり物語その1


 芦屋市内の「宮付きのだんじり」打出天神社の地車がそれです。

 だんじりと言えば「岸和田」が有名ですが、実はだんじりのルーツは京都の祇園祭にあります。

 

 祇園祭の始まりは869年ですが、山鉾が使われたのは1300年代に入ってからです。元亨元年1321年と史料にはあります。

 当時は堺の商人が裕福であり、彼らが京都の文化を堺に持ち込んだものだと考えられ、山鉾が地車になったと言われています。日本全国で祇園祭をモデルにした山車がありました。各地にある小京都のようなものが山車や地車だったのです。


 打出のだんじりはその歴史も古く、江戸時代後期に遡る。明治に入って打出地域の中で春日・南宮・若宮・西蔵の4地区が曳き始めた。しかし、大正10年ごろに売却されています。


 昭和9年、打出天神社で地車を新たに新調しました。大工の植山宋一郎(岸和田)、彫師の木下瞬次郎(岸和田・淡路)、幕縫師の梶内近一(淡路)がそれぞれの分野では一流の匠の集団で製作にかかった。


 昭和16年までは、五穀豊穣を祈願しつつ打出の地域を曳いていました。昭和20年の空襲で本殿は消失しましたが、奇跡的にだんじり小屋は無傷で残ったのです。


 昭和27年から39年ごろまでは毎年曳いていましたが、昭和39年を最後に昭和48年までは中断していました。昭和49年に再出発をしました。私が参加したのは昭和51年からですから、もう43年もやっていることになります。


 平成6年に、打出だんじり愛好会・保存会の役員の努力で、解体大修理を発注しました。その翌年の平成7年、阪神・淡路大震災でだんじり小屋が全壊しましたが、奇跡的に一部は破損しましたが、被災を免れました。


 平成11724日打出天神祭の時に「打出のだんじりと歴史がわかる本」が打出天神社総代会から発行されました。


つづく