「阪神淡路大震災から15年・神戸新聞の7日間」櫻井翔主演
「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間 命と向き合った被災記者たちの闘い」 2010年1月16日にフジテレビ系列の『土曜プレミアム』枠で放送されたドキュメンタリードラマです。
オンエアされた当時はとても観れなかった作品です。
DVDを購入して、1.17後に必ず観るようになりました。
神戸新聞には、震災時にも発刊されてましたので地元新聞社の意義がよく分かるドラマでした。
物語は・・・
1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災では地元、神戸新聞社本社も壊滅的な打撃を受けた。新聞発行に最も必要なホストコンピューターはダウンし、近隣の京都新聞のサポートを受けて発刊されるのですが・・・・
主人公の三津山朋彦を演じる「櫻井翔さん」
新人記者の小藤香織の「吹石一恵さん」
山根秀夫取締役編集局長(のち社長)「内藤剛志さん」の「人間撮れとう?」の口癖から始まるヒューマンドラマです。
実はこの内藤さんの言葉使いは「関西弁」でも「神戸弁」と言われる独特のイントネーションで臨場感が増してしまう。
三木康彦論説委員長「山本圭さん」の震災後3日目の朝刊1面に珍しい社説が掲載された。
これは今でも語り継がれている社説だ。ドラマでは割愛されているが、私には真の意味がよく解る。
「被災者になってわかったこと」
「あの烈震で家が倒壊し、階下の老いた父親が生き埋めになった。
いくら呼んでも返事がない。誰に救いを求めたらよいのか途方に暮れる。」
日が暮れて寒くて、食べ物も水も乏しい。廃材でたき火をする。
いつまで辛抱すれば、生存の不安は薄らぐのか、情報が欲しい。
翌日が明ける。
救助本部へ行く。生きている可能性の高い人からやっている、お宅は何時になるか分からない、分かってほしいといわれる。十分理解できる。理解できるが、やりきれない。
これまで被災者の気持ちが本当に分かっていなかった自分に気づく。
ドラマは被災者の深層心理に迫っていく
社説の最後の文章は、
「この街が被災者の不安やつらさに、どれだけ応え、ねぎらう用意があったかを、改めて思う」
この社説を境に神戸新聞社は「何人亡くなったとかを1面に掲載せず、「希望や未来」の人間が強く復興に向かう記事を掲載することになった。
私は当時も消防団員だったから解るが、「呼びかけに応答する人から救助せよ」の命令があったし、ご家族の思いは理解できるだけに、何とかしてあげたいのですが、救助作業は生存の可能性のある方を優先した・・・。
そのことで、非難の声を浴びせられることも少なくない。
櫻井翔さんが京都新聞社に向かう途中、目撃した神戸の全景を見て
「神戸が・・・神戸が・・なんてこんなことに・・」涙ぐむシーンは
神戸が燃える・・・・。
芦屋が崩壊した・・・。同じような思いだった。
街の色が無くなってしまった。その意味は被災者でしか理解できないだろう。
新聞記者らがカメラで写真を撮っていると、私も「人なら救助するのを先に考えないのか・・」
そんなことを言ったことがあった。
今となっては彼らの撮影した写真が残り、記録として大勢の方々に記憶されている。
お互い仕事ではあるのだが・・・・。
私は当然のように彼らを嫌っていたのだ。
この作品を見て、櫻井翔さんの台詞は当時の新聞記者らの真実の言葉であると思います。
「そうだったのか・・・」彼らも人間だ。
何を優先すべきか随分と悩んだだろうに・・・。
この作品は是非、大勢の方に観て欲しいと思います。
そして、俳優さんたちが何を演じようとしているのかも同じように見てあげて欲しい。
ドキュメンタリータッチであり、櫻井翔さんらはその難しさを真摯に演じている名作だと思います。
若手の新聞記者の葛藤・・・
「新聞発行のために必死で奔走し、また“惨状と悲劇を前に人間であるべきか、はたまた冷徹に記者そして記録者であるべきか”と悩み続けている。仲間の記者同志ともぶつかり合う。
この櫻井翔さんの演技は本当に被災者の気持ちを理解されたのだろう。
後輩の新人記者の小藤香織「吹石一恵さん」 はカメラを被災者に向けられなくなってしまう。
母親の遺骨を集めている子供の写真を「ごめんなさい。1枚写真を取らせてください」
実際、彼ら新聞記者も被災者であった。
途中、櫻井翔さんのナレーションのシーンがあるが、この少し悩み疲れている喋り方が凄い。
「苦しんだり、悲しんだりした写真に何の意味があるのでしょうか?」櫻井翔さんが聞く。
この問いに山根編集局長は「お前なら思う?両親や子ども、恋人を失ったら・・お前はどうして欲しい・・・今はそれを新聞記者として伝えることや・・人間撮って来い。新聞記者なら逃げるな!」と。
その答えは元の会社の同僚の女性の加賀美祥子「いとうあいこさん」の告別式で以前、自分を撮って欲しいと頼まれたことを思い出し、桜井翔さんは「祥子さんはこれからいっぱいやりたいことがあったと思います。夢はいっぱいあったと思います。きっと幸せになれた・・・ほんとに無念だったと思います」そして祥子さんのたった一人の身内である祖母に「写真撮っていいですか・・・祥子さんが生きていたという証を残したいんです・・」
「お願いします・・撮ってやってください。あの子にはなんも残せてやれなかったから・・」
そして、棺の中に眠っている祥子さんを涙が溢れる目でファインダーを覗き、震える手でシャッターを切る・・・
これが答えだろう。このシーンは私の震災の経験と重なってしまう。
おそらく、被災者誰もが経験したことだろう。
「生きた証」この作品のテーマなのだと私は思います。
「桜井翔」さんの作品は彼が演じる役のすべてにリアリティーを求めているのではないでしょうか?この作品を見ればそれが解ります。
被災者の一人として、この作品を今ごろになって真剣に観ていることを申し訳なく思うと共に、桜井翔さんをはじめとするこの作品を製作した方々に感謝を申し上げます。
素晴らしい作品を!!
ありがとうございました。
※【データで見た阪神淡路大震災】
芦屋市では、444名の方がお亡くなりになっています。芦屋市の人口は,震災直前の平成 6 年(1994 年)には推計人口が 87.524人ですから、0.51%という痛ましい事態になりました。
(神戸市0.31%、西宮市0.26%)