あしや温故知新Vol96 吉原治良(よしわらじろう)と芦屋具体芸術
小出は二科会系の洋画家として再現的描写を基本としながら、構図や色彩を大胆に駆使することで個性溢れる世界も創造したのです。
このような感覚主義はやがて時代を象徴するような才能溢れる異彩の画家を誕生させました。
それが「吉原治良」です。(1905年1月1日 - 1972年2月10日)
大阪の油問屋(後の吉原製油、現在のJ-オイルミルズ)で誕生した吉原は大正13年に武庫郡精道村(現芦屋市)に転居しました。北野中学(現北野高校)に在学中に油絵を始めた。
関西学院へ通学していました。
関東大震災で被災し、芦屋市に移住した上山二郎の斬新で上品な都会的センスの作品も見た吉原は影響を受けた。
モダンな絵画表現に目覚めた吉原は昭和9年に二科展にデ・キリコ風の作品を出品して、
センセーショナルデビューを果たした。
昭和12年には抽象絵画へ転向し、関西の抽象美術のパイオニアとして活躍しました。
吉原の作品は芦屋を中心に、阪神間モダニズムを最も純粋に取り入れ、表現した作品として評価され、若手の画家たちに受け継がれ「昭和ベル・エポック」を彩ったのです。
戦後、吉原製油社長として活躍したのですが、創作活動にも意欲をみせて、絵画やデザインを発表しています。
不定形な形を激しいタッチで描く抽象画を得意としていましたし、その頃は最先端であった海外オートクチュールメゾンのファッションショーの舞台装置のプロデュースなども行っています。
時代の寵児だったのです。
1952年秋に、芦屋公園(松浜公園)で具体美術の野外展示や東京小原会館で大規模な具体展も開催しました。
逸話として、吉原製油のヒット商品「コーンサラダ油」のパッケージをモダングラフィックデザイナーの早川良雄に依頼したのです。
川西町のお屋敷は今はありませんが、私が子供ころは青少年センターで剣道の稽古の後、国道2号線を経由して自転車で帰るのが日課でした。この道は実は下り坂が幾分緩やかだったからですが、まさかコーンサラダ油の社長さんの自宅だとは思ってもいませんでした。
芦屋美術博物館は具体画を中心とした美術館で、その方面では世界的に知られているのですが、この具体画です。初めて見たときは奥が深過ぎて、中々難しい。
学芸員の説明を聞いてなるほど・・・そういうことか!
絵画から無駄なものをそぎ落とす。そしてストィックに本質を追求していくと抽象画にたどりつくそうです。皆さんも是非この感覚で見ていただ
きたい。