あしや温故知新VOL93 カメラの街!伝説のハナ勘さん
芦屋を含めた神戸から大阪にいたる阪神間は、六甲山系の美しい山並みと海に挟まれた地域で、昔から数々の文化が育まれてきました。建築や町づくりに留まらず、多くの芸術も誕生しました。
なかでも、大正後期から昭和初期にかけて生まれた文化の数々は「阪神間モダニズム」と呼ばれたものです。
さて、昭和6年に芦屋を象徴するある本が出版されました。
「総ての作家に敬意を払う。然し我々は新しき美の創作。新しき美の発見を目的とす。」
芦屋カメラクラブ年鑑の巻頭にある宣言です。
芦屋カメラクラブが結成されました。プロの中山岩太メラマンが代表を務めました。
他はアマチュアメンバーで構成されています。
そのメンバーが凄い!桑田和雄、松原重三、高麗清治(高清、田中一、小松三郎、佐伯良)、紅谷吉之助、山川健一郎、橋本好文(橋本恭典)、三浦義次、若柳義太郎、近松嘉吉、中岡健治、花和銀吾、佐溝勢光、河原井晋、梅林長次郎、池田菊治など。1942年まで存続しました。
このクラブでは多重露光やフォトモンタージュを駆使してモダンな作品を多く残しています。
まさに、この時代に芦屋で写真店を経営しながらも、写真家として活躍した1人の男がいました。
その名こそ、後に振興写真を一挙にメジャーにさせた芸術家「ハナヤ勘兵衛」(桑田和雄)さんです。ニューヨークとパリで写真家として活躍した中山岩太らと芦屋カメラクラブを設立し、この合成写真のような芸術作品をこのクラブで開花させました。
「船のハナヤ勘兵衛」と異名がつくほど作品の「船」は大絶賛され、一挙にメジャーな世界で評価を受けたものです。
また、昭和22年カメラ設計者の西村雅廣氏と「芦屋(甲南)カメラ研究所」を設立、小型カメラ「コーナン16」の制作に心血を注ぎました。東京都千代田区、昭和館に展示されています。
10種類を昭和25年に発売し、16㎜フィルム使用しています。豆カメラとして爆発的に流行し進駐軍兵士たちのお土産として売れました。
年間に19万台を輸出したと記録があります。
ハナヤ勘兵衛 「ハナ勘さん」と呼ばれてカメラ好きなら一度はこのお店に行ったことでしょう。
私の父も消防現場検証の撮影以来、自宅で現像したりしており、ハナ勘さんの指導だったようです。私の幼い時の写真がカメラ雑誌に載ったのもハナヤ勘兵衛さんの勧めだったようです。
私もオリンパスPENのハーフサイズカメラを小学校3年の時に買ってもらったのですが、もちろん「ハナヤ勘兵衛」さんのお店です。
4代目の桑田敬司さんが後継者として「芦屋のモダニズム」の原点のようなこの「ハナヤ勘兵衛」を立派に経営されておられます。
芦屋市のホームページや「広報あしや」で「思い出写真館」の中でで過去の歴史を振り返るコーナーがありました。
実は時代考証や撮影年月をプリントされた写真からデジタル化したり、何よりも撮影場所などを確定できたのは桑田敬司さんのお陰なのです。
今でも、地道な努力で芦屋市に貢献されている桑田家の後継者の一人です。
この原点と言われる「ハナヤ勘兵衛」の看板が芦屋市の看板条例に抵触するということで撤去せよという問題がありました。
「ハナヤ勘兵衛」の看板は長く芦屋市民に写真芸術を伝えたという歴史的な資産なのです。