あしや温故知新VOL 88 貴志康一の伝説その2
音楽活動だけでなく、絵画・小説とその溢れる才能はどこまで上り詰めたのだろうか?
いや、28年の人生かですべてを燃やし尽くしたのだろうか?
逸話がたくさん残っているのも天才音楽家のゆえんですが、湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞の後の晩餐会の時に、貴志康一の楽曲「竹取物語」が流れたと伝えられています。
また、甲南大学および甲南高等学校・中学校では、様々な場面で彼のヴァイオリン曲「竹取物語」が使用されており、中高では、講堂での入学式・卒業式・入試説明会などの式典開始前には同曲の音源が流れています。
卒業生は授業の開始・終了時および最終下校時刻にはアレンジ音源が流れていたと言っています。
甲南大学の1限授業開始前にも「竹取物語」が流れ、こちらは中高の講堂と同じ原曲音源である。
貴志康一は大正9年 浜芦屋町に建築家今北乙吉の設計によるドイツ風の洋館を建てました。
ステンドグラスを埋め込んだ造りで阪神淡路大震災の影響で損壊し、後に取り壊されてしまった。
これも震災後ですが、伊勢町にあった旧金川邸(3階建ての洋館)の調査をしていた時に、大きなリビングにアップライトのピアノがあった。
スタィンウェインだったが、このホールで貴志幸一が演奏していたとしても不思議ではなく、家主は米国渡航歴が長く、確かにこの場所で貴志康一氏が演奏していたと証言も得たのです。
阪神モダニズムはこうやって音楽とも融合しつつ建築様式や文化の最先端に貴志康一氏の存在があったということです。
天才音楽家は永遠に芦屋市とともにあるのです。
そう言えば、あのモダンボーイ!白洲二郎の自宅は松浜町ですから、貴志康一の自宅の浜芦屋町から歩いて数分の距離です。
誕生日は白洲次郎さんが1902年2月17日。貴志康一さんが1909年3月31です。ひょっとしたら芦屋川あたりで偶然に出会っているかもしれませんね。
これもロマン溢れる芦屋の物語らしいでしょう。
写真の建物は芦屋市浜芦屋町の貴志康一さんのお住まいの写真です。