あしや温故知新VOL81 崇信幼稚園と仏教会館

 

  景観重要建築物に登録されている片岡安氏設計竣工 - 昭和2年(1927年)RC造、地上4階の建物です。

  これは、丸紅商店(現丸紅)初代社長伊藤長兵衛の出資により「崇信会」の会堂として創設されたもので芦屋川沿いの景観にばっちりの建築物としてフランク・ロイド設計の旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)、芦屋カトリック教会と並び市民に愛着がある建物です。

 

  大正10年に丸紅を興した伊藤長兵衛氏は、実業家として大家を成した反面、精神教育運動の陣頭に立ち活動しています。記録では芦屋に「崇信会」をおこし、その活動の場としてこの建物を建てたとされています。


  会館の建物は、当時、奈良ホテル、大阪中之島公会堂など多くの名建築を手がけた片岡安(かたおかやすし)氏の設計によるもので、昭和2年に既に免震工法で設計建設され、丁度お堀の形をした船に建物が乗っている構造で、非常に珍しい事例といわれています。(説明参照)

 

  また、昭和20年ごろ仏教会館傍に日本の戦闘機陸軍隼が墜落したと父が生前話していました。仏教会館は、戦火を免れました。阪神大震災にも被害が少なく、免震構造だということを阪神淡路大震災後に初めて知りました。明治・大正時代の洋風建築と東洋風建築の特徴を折衷した建物で、しかも原型のまま残していて、その美しい姿は日本の財産として残ってくれると思います。


  財団法人という成り立ちの由縁もあって、昭和10年には付属事業として、川向いに崇信幼稚園を開園し、昭和60年に閉園されるまでの約50年間多くの園児たちを卒園させておられます。芦屋の幼児教育に多大な貢献をされています。(現在は緑地公園)

 

  また、終戦直後には、約6ヶ月間のみでしたが甲南高等女学校の仮校舎としても利用され、昭和24年(1949 )から同29年(1954年)までの約5ヵ年間は芦屋市立図書館としても利用されていました。

 

私が幼い頃この仏教会館の屋上から360度の芦屋市内を見渡せて、その絶景を忘れられません。

 

  また、崇信幼稚園のあった場所には現在もクロマツがあります。この松にも思い出があります。この幼稚園付近で急に体調が悪くなった子供を園長先生が緊急事態だと園舎内で看病し、お医者様まで呼ばれたという話を聞いたことがありました。


仏さまの感謝の気持ちと奉仕の精神を教えるこの幼稚園の存在は私には特別なものでした。


  朝日新聞デジタルの記事に「芦屋市婦人会の広瀬忠子会長によると、芦屋市にあった崇信(すうしん)幼稚園に戦後、父親を戦争で亡くした男児がいた。家で父の話ができず、「お父さんのことを聞きたい」と漏らしていた。明石市の幼稚園にも同様の園児がいたという。


  その話を聞いた広瀬会長の母で当時の市婦人会長の勝代さんが、1953年に東京の婦人会の全国大会で呼びかけた。「父を戦争で亡くした子どものため、父の話をする日をつくろう。」これが日本の父の日のきっかけになったという。


  広瀬会長は「平和のありがたさを思い返し、父親の役割と存在を考える日にしてもらえたら」と話したという記事があります。

この崇信幼稚園のことが掲載されていたので掲載します。