あしや温故知新VOL80
「宮川小学校が炎上!大火災からの復興 その6」
平屋のしかも急場で建設した仮設校舎で・・・・
仮設校舎はプレハブ校舎と呼ばれ、冬は寒く、夏はめちゃくちゃ暑い!しかも雨漏りもする。
そんな校舎でも愛着があるものです。青空教室より百万倍過ごしやすいのですから・・・。
それに隣の教室の声がまるで体育館にいるように聞こえるのです。
結構楽しいもんです。
実はこのプレハブ校舎には現在のような断熱材が使われていなかったことも判明しています。
阪神淡路大震災の時は校舎新築のためプレハブ校舎としては25年ぶりに再び宮川小学校に建設されることになって、私の子どもがその校舎で学びましたが、2階建でしたし、断熱材も使われ、エアコンも設置されています。この事を当時の新聞記者に話したら記事になってしまったのです。
震災から25年前も同じプレハブ校舎が宮川小学校にあった。「25年前に思いをはせて!」とタイトルが付いていました。
火災で校舎を焼失して、失ったものはあります。ですが、それ以上に得たものがより多く、我ら卒業生の財産として思い出の中にあると思います。
何よりも「絆」ができました。
小学校の同窓会は今でも毎年、先生方を招いて開催していますが、この大火災の経験は話の尽きない思い出です。
「大火災からの復興でたくましく、優しい少年少女を育てる」これが当時の先生たちの合言葉です。
学校とは「教科の学習」をするだけではない。こうやって生きた教材で人として何をすべきかを教えてもらうことができる素晴らしい場所だった。
私たちが幸せだったのは、こんな時代に生まれ、こんな経験をし、そして人間性豊かな先生方と出会ったからだと思います。
卒業式の時はみんなで「先生!ありがとう」って心の底から言えた。
今でも言えます。「先生!ほんとにありがとうございました」と・・・・
1970年10月5日宮川小学校の中校舎新築が完成。
その校舎の北側に記念碑ではなく「ふるさとの池」を作ってもらった。
その池は母校をいつまでも「ふるさと」にしたいと私たちが命名しました。しかし、その校舎も25年後に解体、池も現在は残ってはいません。
でも、宮川小学校の卒業生の心にいつまでも残っていると思います。
「ありがとう」の言葉と共に!
今回のあしや温故知新は私の小学校5年生から6年生の一番の思い出です。
この実話を是非、芦屋市の歴史として残しかったので取り上げました。
長い間お読みいただきありがとうございました。
次週は古い芦屋のお話に戻ります。