あしや温故知新VOL60 芦屋川と開森橋 

 

  芦屋川は芦屋市の景観を最も表す時には代名詞のような場所ですし、芦屋市民の人気も絶大です。


  川沿いにある仏教会館やカトリック教会、フランクロイド・ライトの旧山邑邸(ヨドコウ迎賓館(国指定需要文化財))などの建築物や桜並木、かかる橋の歴史と伝説などの存在は古くから芦屋っ子に語り継がれるものばかりです。


 開森橋は2016115日新しい橋に掛け変わりました。この橋は芦屋川の景観を考えて、欄干を当初設計より遥かに上回るグレードに変更して現在の形になりました。

(ライト設計の旧山邑邸をバックにアルミ製などの橋は似合いませんでした。担当者と私のやり取りは議会議事録に残っています。)

 

  さて、この芦屋川は急流故に比較的清流ですが、1938年(昭和13年)73日~5 - 阪神大水害で氾濫したり、一方で阪神大水害をはじめ幾度かの水害をもたらしてきたのです。


  芦屋川は阪急芦屋川駅の少し北側の開森橋付近で決壊しています。その開森橋の少し北側で川が2本合流します。その山の方で土砂崩れが発生して被害が大きくなってしまったのです。

 

  この芦屋川には秘密があります。

 

  阪急芦屋川駅より上流では、芦屋川の護岸に使っている石の形が左岸と右岸ではまったく異なっていることを知っている方は芦屋検定を一発で合格するでしょう。

 

  右岸は、比較的丸みのある石が使われています。これは、阪神大水害以前の護岸がそのまま残っているもので、上流から流れてきた石を再利用されたと言われています。


  左岸では、四角く角張った切った石が積まれています。これは、阪神大水害の時に左岸側の堤防が決壊し、改修したため、左右で石の形が違うものになりました。

 

   芦屋川の上流、開森橋の左岸側には、阪神大水害によって堤防がこわれた場所を示す碑が建てられています。また、阪急芦屋川駅の上流には、当時流された桜橋の橋脚が現在も残っています。現在の桜橋(人道橋)は昭和20年代入ってから掛けられたものです。

 

  初代の桜橋は阪神大水害のときに損壊してしまい橋脚だけが残っているのです。


 芦屋川にその橋脚跡が現存しているのですから、芦屋川は美しい景観を持つ顔と大災害の爪痕が残っている希少な存在でもあります。

 

   阪神大水害の様子は谷崎潤一郎の「細雪」で描かれていることで有名です。芦屋川決壊の石碑の前には「細雪」石碑も置いてあります。水害のときにはこれくらい大きな石が街を破壊したのです。

 

  芦屋市の歴史を語る時に幾度か登場する芦屋川は市民の憩いの場所になっています。