あしや温故知新VOL50 芦屋川トンネル「国鉄の技術力が世界へ」

 

  1872年(明治5年)、日本で最初の鉄道が東京・新橋―横浜間で開業しました。そして2年後の74年には大阪と神戸が結ばれました。


  この時の資料が詳しく残っていないのが残念ですが、この東海道の大阪~神戸を結ぶ鉄道で最も難航した工事がありました。

 

  業平橋の北、大正橋のすぐ南には、JRの列車が芦屋川の下に造られたトンネルを通りぬけています。

   鉄道は通常、川の上を通ります。しかし、この場所は逆になっています。


 何故こんな形にしたのかというと、これは芦屋川が天井川で周辺より川底が高いため、鉄道を川の上に通すより、川の下をトンネルで通した方がスムーズだったからです。


   近隣には同じ天井川の神戸市の住吉川、石屋川(現在は高架されたので存在していません)があります。


  土砂が大量に流れ出る川では、川底に土砂がたまり、大雨のたびに溢れてしまいます。そのため、人々は川に沿って堤防を造りました。しかし、その後も土砂は運ばれ続けて川底にたまり、水面が上がるため、人々はさらに堤防を高くしました。

  これを繰り返すうちに、川底がまわりの民家よりも高くなり、天井川といわれるようになったのです。

 

   さて、この芦屋川隧道(トンネル)は、明治4年(1871年)に工事が始まり、約3年後の明治7年に完成しました。当時、線路は単線でしたが、将来、もう1本通せる複線構想の大きさで造られました。また、トンネルの出入口や壁はレンガが使われています。



  当時の英国紙「イラストレイテッド・ロンドンニューズ」は、1876年9月2日の紙面で詳細にイラスト入りで取り上げるほどでした。


 レンガの製造や組み立て技術のレベルが高く、日本の技術を世界に紹介したひとつとなりました。しかも美しいデザインでした。

 明治の頃の建造物が欧州のモデルとなったものが多いことは知られていますが、トンネルもそのひとつなのです。



   その後、さらに線路を増やしたため、当時の姿は消えてしまいました。しかし、そのレンガは、現在の芦屋川トンネル(大阪方面側)付近の北側斜面の壁に再利用されています。

   現在でもその姿が見ることができます。



蒸気機関車の煙をたくさん見てきた「レンガ」です。


   きっと昔の明治浪漫の証人として・・・今もそっとその時計を止めることなく歴史を刻んでいるのです。


 

【芦屋駅年表】

1913年(大正2年)国有鉄道東海道本線西ノ宮駅~住吉駅間で旅客、貨物の取扱が始まりました。当時の精道村が工事費1万円を寄付して完成された駅です。


1957年(昭和32年)東海道本線に快速電車の停車駅を増やす計画が発表されました。ここに西ノ宮駅と芦屋駅で争奪戦が起こったのです。複々線の内側を走る快速電車は芦屋駅で、外側を走る列車は西宮駅に停車をすることで決着しましたが、2003年(平成15年)12月1日のダイヤ改正ですべてが芦屋駅に停車することになりました。


1990年(平成2年)3月10日に新快速が停車する駅になりました。これは芦屋市の要望もあったようですが、駅間の距離と通過時間などを考慮した結果で、たまたま中間点に芦屋駅があったということであったらしい。

(JR西日本関係者の証言より)


 これによって、JR神戸線で新快速が停車しない駅は西宮駅のみになりました。

   西宮市民は悔しいでしょうが、阪急と阪神の便利な私鉄がメインの西宮市と、芦屋中央部がJRという地理的なものが偶然になしたものです。がっかりしないで!        


   JRだけでもさくら夙川駅に西宮駅、甲子園口駅がある西宮市です。阪神や阪急では圧倒的なんですから!