櫻井翔さんの作品「阪神淡路大震災から15年・神戸新聞の7日間」その3 最終回

 

若手の新聞記者の葛藤・・・

「新聞発行のために必死で奔走し、また“惨状と悲劇を前に人間であるべきか、はたまた冷徹に記者そして記録者であるべきか”と悩み続けている。仲間の記者同志ともぶつかり合う。


  この櫻井翔さんの演技は本当に被災者の気持ちを理解されたのだろう。

後輩の新人記者の小藤香織「吹石一恵さん」  はカメラを被災者に向けられなくなってしまう。

母親の遺骨を集めている子供の写真を「ごめんなさい。1枚写真を取らせてください」

 実際、彼ら新聞記者も被災者であった。

 

 途中、櫻井翔さんのナレーションのシーンがあるが、この少し悩み疲れている喋り方が凄い。

 「苦しんだり、悲しんだりした写真に何の意味があるのでしょうか?」櫻井翔さんが聞く。

 

この問いに山根編集局長は「お前なら思う?両親や子ども、恋人を失ったら・・お前はどうして欲しい・・・今はそれを新聞記者として伝えることや・・人間撮って来い。新聞記者なら逃げるな!」と。

 

   その答えは元の会社の同僚の女性の加賀美祥子「いとうあいこさん」の告別式で以前、自分を撮って欲しいと頼まれたことを思い出し、桜井翔さんは「祥子さんはこれからいっぱいやりたいことがあったと思います。夢はいっぱいあったと思います。きっと幸せになれた・・・ほんとに無念だったと思います」そして祥子さんのたった一人の身内である祖母に「写真撮っていいですか・・・祥子さんが生きていたという証を残したいんです・・」


「お願いします・・撮ってやってください。あの子にはなんも残せてやれなかったから・・」


  そして、棺の中に眠っている祥子さんを涙が溢れる目でファインダーを覗き、震える手でシャッターを切る・・・

 

 これが答えだろう。このシーンは私の震災の経験と重なってしまう。

おそらく、被災者誰もが経験したことだろう。


「生きた証」この作品のテーマなのだと私は思います。

 

 「桜井翔」さんの作品は彼が演じる役のすべてにリアリティーを求めているのではないでしょうか?この作品を見ればそれが解ります。

 

 被災者の一人として、この作品を今ごろになって真剣に観ていることを申し訳なく思うと共に、桜井翔さんをはじめとするこの作品を製作した方々に感謝を申し上げます。

  

 素晴らしい作品を!!

ありがとうございました。