「愛するということ」

エーリッヒ・フロム著

                     

 私が18歳の入院中に書いた読書感想文が発見された。まさに、クリスマスプレゼントだった。


   私は、人を愛するということはとても難しい事だと考えていた。

   だからこの本を選んだのかもしれない。最近、自分のある考え方に気がついた。それは、例えば、恋人に対して、私は常に自分が相手を愛していると思っていたが、「愛されるために、愛していた。」という事だ。

 

    この本を開くと、初めに、この考え方は本当の意味で愛するということではないと気づかされた。私は、愛する問題を愛される問題として捉えていた一人である。

 

   人間は誰もが人との繋がりがないと生きてはいけない。つまり愛がないとダメなのだ。


   子どもは親の愛を一身に受けなければならないし、高齢者の人たちだって、人の愛を感じなければ孤独を感じ、うつ病になってしまう可能性さえある。

   

    人間ほど、他者との融合、つまり愛を求めているものはいない。日本のように協調性が強い国はこのようなことをよく表している。


   この本で、ヒトラーでさえ、人に依存して生きていた事を知り驚いた。

 私自身がこの本で学んだ2つのキーワードがある。


1つ目は、愛は何よりも与えることであり、もらうことではないという事だ。実際にそういった考えはもっていた。

   自分が何かを犠牲にして、相手のために努力をして与えていることは、純粋な愛であり、そんな私は愛されるべき人間になると思っていた。

   

    それは、この本でいう与えることは苦痛だからこそ与えなければばらなくて、犠牲を払うことは美徳だという考えだ。しかし、本当に与えるということは、生命力にあふれ、惜しみなく消費し、いきいきしているのを実感し、それゆえに喜びをおぼえることだ。


    それは、剥ぎとられるからではなく、与えるという行為が自分の生命力の表現だからであると書かれてある。きっと与えるという事は、目には見えないものなのだ。私は、与えるという事を尽くすといった意味で捉えていたのかもしれない。


   例えば、生まれる前は絶対に母親がいないと生きてはいけない。与えるというのはこういったことなのではないだろうか。自分が相手を生かすと言えば、おおげさだけど、そのような意味に近いように感じた。


 2つ目は、自分自身を「信じている」者だけが他人に対して誠実になれるという事だ。

自分自身の愛に対する信念が大切なのである。


   私も、きっと意識の上では、愛されない事を恐れていたが、本当は、無意識の中で愛する事を恐れていた。そして、愛する事を恐れるあまり相手が変わってくれる事ばかり考えていた。


   愛は形でもなく言葉でもないものだから、相手の心にも自分と同じような愛が生まれるのか確信が持てずにいるため愛する事が怖かった。でも、これでは、どんな相手に対してもわざかしか愛することはできない。


   自分に信念を持つ事が何より大切だと感じた。自分の愛することに信念と勇気を持って初めて他人を愛する事ができるのだろう。私はこの本を読んで、愛することができる本当の自分の信念を持って生きていこうと思う。


「42年前に書いたものです。」

ただし、私に命が残っていたならば、、、。