あしや温故知新VOL36

打出市場を覚えていますか?

 

西国街道沿いの歴史にもあるようにこの打出地域の市場は昭和23年(1948年)開業。当時は36店舗と記録されていますが、43号線建設後に32店舗、最盛期に36店舗になったとの証言もあります。


 

打出地域は阪神打出駅から南に広がる打出商店街と共に賑やかな商業地域を形成していたのです。打出市場と打出商店街は距離にして60mほど離れていました。

 

  打出市場は幾分狭い通路でしたが、常にお客さんで溢れ、豊富な品数が揃う打出地域の台所としてその存在意義は髙いものでした。

 

市場には、多田手芸店、松月駄菓子、瀬口八百屋、お茶原田、カレーコロッケ玉城肉屋、上林漬物屋、田中魚屋、中野豆腐、川上魚屋、岩崎乾物屋、三岡乾物屋、小谷文具、坂口履き物店、玉屋製麺うどん店、坂口タバコ店、栗屋菓子店、春日鶏肉店、高田八百屋、鈴木果物店、バロン鞄店、浴衣店、花屋さん、薬局、後に打出商店街でスーパー大松を経営する荒物屋さん。

 

 そのバラエティー溢れる品数でお隣の西宮市からの買い物客もありました。

 

市場の北の入り口付近にあった和菓子屋さん「小槌菓子本舗」は現在「串昌」として焼き鳥・串揚げのお店として現地で営業をされています。

小槌菓子本舗は先代の中川さんから中路さんが引き継ぎ47年から59年まで営業され、新たに串カツ、焼き鳥の「串昌」と半分ずつで営業されておられます。

  現在の宴会用個室付きのお店になって震災後、打出市場の面影を残してリニューアルされています。




 

  打出駅南の打出商店街にスーパーマーケット(大松)が出来て、徐々にお客さんが遠のいたと言われますが、国道43号線が完成し、完全に南側の人口が多い大東町や南宮町・浜町の人たちが分断されてしまった影響が大きいとされています。

 

  1970年代はまだ打出市場が不動の勢力ではあったのですが、芦屋 浜センターが営業を開始し、その北側に神戸灘生協がオープンした大東町、南宮町など43号線以南に新たな商業エリアが完成したとたんに古いスタイルの市場がおいて行かれてしまいました。

 

  市場内の店も1軒減り2軒減り、北東の角がマンション用に売られたりしても、1995年(平成7年)の阪神大震災前には2~3軒のお店が営業を続けていたのですが、残っていた店も全壊して完全になくなってしまいました。

 

  打出商店街の「スーパー大松」や南宮町に大丸ピーコックや春日町にダイエーイタリア―ノの進出もあり、小売り市場はその存在意義を無くしていったのです。



 

  一方、打出駅前の商店街は昭和の雰囲気を残しつつも新進気鋭のお店が新陳代謝して、元気に今も生き続けています。

 

  打出市場の小槌菓子本舗から串昌として最後の営業を行っておられる店内の上の棚には和菓子作りに必要な型がオブジェとして飾られ、当時の名残りを惜しむお店になっています。

店主の「中路さん」は打出市場の生き証人のように当時を鮮明に覚えておられます。このお店は昭和の打出にタイムスリップすることが出来る最後の店舗なのです。

 

  串昌の中路さんに会えば打出商店街の話を聞かせてもらえますので、懐かしい方は是非、訪ねてみてください。


 

  モノクロの不鮮明な写真「打出市場」昭和36年の撮影が残されています。