あしや温故知新VOL.35

奥池は人工池

 

   阪急芦屋川駅の北にある開森橋の東詰に大きな「猿丸安時頌徳碑」が立っています。

大昔から、 芦屋は日照りが続くと田畑の水不足が発生し、「水の争い」が絶えませんでした。


   当時の芦屋村の村長、猿丸又左衛門安時 (さるまるまたざえもんやすとき)(1828~1880 明治13年)がこのような争いをやめさせるため、 芦屋川の上流にある奥山に貯め池を造って、水不足を解消する灌漑工事を開始します。


   約20余年、ため池がやっと完成し、奥池と名付けられました。 その結果は水不足が解消し、村民に大歓迎されました。


  奥池の水は昭和47年、南西側に造られた貯水池と共に飲み水として 今も芦屋市民の暮らしに役立っています。


  昭和36年(1961年)、芦屋と有馬を結ぶ芦有ドライブウェイの工事の真っ只中に驚くニュースが芦屋市を駆け巡りました。

「なんと!工事中にマンモスの化石が発見」されたというものです。

もちろん作業員が発見したものですが、実は他にも多数の化石があったのです。  

 

   その中に手の平ぐらいのサイズで動物の骨のようなものがありました。調べてみるとなんと、ナウマン象の下あごの歯でした。芦屋川上流で発見されたナウマン象の化石は、海面からの高さが約400mもある六甲山地の中腹でも発見されたという事で貴重な歴史資料とされました。


  この化石は芦屋市立美術博物館の歴史資料として保管されています。



  また、この奥池はリゾート地としての賑わいがありました。

一風変わったイベントが昭和39年(1964) 奥池遊園地に本場ハワイから舞踊団を招き、夏に1か月間にわたり歌と踊りの「ハワイまつり」を昭和43年まで5年間開催していました。


  その内2年間は「ホタル狩り」が8月お盆前に開催され、多くの来場者が網と虫かごを持って奥池遊園地に集まってきました。

実際、飛んでいる「ホタル」を網で取るのは難しく、結局は誰かの身体に止まって発光しているホタルを取るという手法で1匹でもゲットでできればいい方でした。


 この奥池遊園地には鹿がいました。池では貸しボートで遊ぶことも出来ました。白鳥やアヒルが泳ぎ、鯉やフナがおりました。


  奥池地域はリゾート地、別荘地、一般家屋が混在したユニークな街となって全国にその環境の良さで高級住宅地のイメージが定着したとも言われています。