村上春樹さんと芦屋市の風景


「ホテル芦屋清風荘」と呼ばれる松浜町にあった旅館で

「あしや温故知新VOL.17」に投稿した作新学院 江川卓が甲子園出場の時に泊まったホテルです。

現在はマンションになっていますが、村上春樹さんの著書「1973年のピンボール」にはこの松浜町のあたりの風景が描写されています。 




  お猿の公園は以前紹介しましたが、村上春樹さんの著書を読むとなんとなく、この辺りだろうか? などと想像が膨らむものなのです。


「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」で登場する芦屋の風景がどこなのか? 村上春樹さんとは約10年の年齢差がある私が作品を読むとこうなってしまいます。

3代目の店と言われるほど登場するが、場所が異なる「ジェイズ・バー」はどこなのか?


「羊をめぐる冒険」では、「三代目の店は昔のビルから五百メートルほど離れた川のほとりにあった。さして大きくはないがエレベーターまでついた新しい四階建てのビルの三階である。エレベーターに乗ってジェイズ・バーに行くというのもどうも妙なものだ。カウンターの椅子から街の夜景が見渡せるというのも妙だった」と作品に登場しています。


  村上春樹さんのファンの方がそこに書かれた話と芦屋市の現況を歩いて探している手記を数年前に見ましたが、私なら芦屋サウザンドビル(昭和49年)ここの3階にあったGRASSという私もよく通ったお店であろうと直ぐに想像できる。


  2代目が地下のシャッターというのであれば、マンション地下1階の「ぺぺルモコ」か、それとも国鉄芦屋駅北ジャズ喫茶「ハーフノート」だろうか? 村上春樹さんの世代ならありえる場所だろうし、村上春樹さんは精道中学校卒業生だから行動範囲も同じぐらいではないか? そんな風に作品を読んでいるとおやっと思うことに出会う。  




  おそらく、私が見ていた風景が村上春樹さんが見て感じたものと同じよう見える小説がたくさんあるのです。

それは幸せなことだろうと思います。



こうやって私自身も自分の文章を恥ずかしくもなく書いているのもきっとどこかに共感して貰える芦屋っ子たちがいてくれると思うからです。


  もちろん、超一流の作家の描写は私が足元に及ぶものではないのですが、

「村上春樹さんの小説には芦屋のかおりがする」そう思うのは私だけではないでしょう。