あしや温故知新vol.23

月若橋という名前の由来


  鎌倉時代、北条時頼の時世の頃、西芦屋村に芦屋藤左衛門家俊という大地主がいました。弟の藤栄に幼い息子の月若丸の後見を頼み、亡くなってしまいます。しかし藤栄は悪人でした。月若から土地を奪って追い出してしまいます。


   月若は芦屋浜の海人となり惨めな暮らしをしていました。そこへ通りがかった修行僧、最明寺実信入道が一夜の宿を頼み、高貴な面差しの月若を不審に思い、詳しく訳を聞きます。藤栄の悪事を知った最明寺実信入道は船遊びに興じる藤栄を諭して、月若の土地を取り戻してやります。以後、藤栄は月若を助けて繁栄を築きました。」これが能「藤栄」。


摂津芦屋の豪族の領地争いを、曲舞や羯鼓などの「芸尽くし」として仕立てられた華やかな作品です。

作者不明なのですが、制作は南北朝期にまでさかのぼる古作の能で芦屋のルナ・ホールで何度か見たものです。

 


修行僧最明寺実信入道とは実は北条時頼の後の姿でした。諸国を旅した漫遊記は「水戸黄門漫遊記」のモデルとなったお話です。月若町はこの月若にちなんでつけられました。


月若町、月若橋、そして月若公園。

「月若丸は北条時頼によって助けられた」牛若丸と弁慶とは違うパターンですが、私は月若丸が芦屋浜の海人となって惨めな暮らしをしていたという部分に「う~~ん」と思っていました。私の先祖たちは困っている人も見捨てたりはしない「海のサムライ」と聞いてしました。しかし、時代は南北朝期です。



海洋の民にはいい話があまりないのも事実なので、この月若丸のお話を叔父さんたちから聞いた小学生時代には阪急芦屋川へ行くと思い出していました。


  高校生の時、月若公園でバス待ちのためにベンチに座っていたら、カップルがやってきて、席を代わって欲しいというか、「代われ!」との命令口調にちょっとイラっとしてしまった。




しかし席を移動したその瞬間! 男性の頭に鳥のフンが落下してきてドンぴしゃり。

空を見ると数羽のトンビが上空を旋回していた。


トンビが鷹を生んだとはことわざのようですが、トンビは役に立つぞ! 私はそう感じました。