あしや温故知新VOI.18

打出小槌町の伝説


芦屋市打出小槌町

旧打出村エリアの町名の上にはすべて「打出」が付いていました。

打出浜町・打出呉川町・打出春日町・打出大東町などと呼ばれていました。


   昭和37年に町名を短くするために「住居表示に関する法律」が制定され、土地の地番とは別に、家屋などに番号をつける制度が実施されました。


この法律に基づき、昭和43年に「芦屋市住居表示に関する条例」が制定され、同年5月から市街地の住居表示を順次行なったのです。


もちろん、打出の文字が外され、当時私は芦屋市打出浜町に住んでいましたが、芦屋市浜町になりました。


そんな中、打出小槌町は反対運動が起こりました。「佐藤武英さん」が中心的な役割をなさっておられました。「この名前を残す事が芦屋市にとってどれだけの財産になるか・・・」「古きものがすべて悪しきものにあらず」議員になった当時、よく歴史の大切さを教えていただいた私の師匠です。

私は打出小槌町を訪れる度に佐藤さんを思い出します。

 

何故この地に打出小槌町が存在しているかというと諸説がありますが、

  

昔、このあたりに小椎命(おうすのみこと:後の日本武尊)を祀った社なり祠があって、小椎を「こづち」と読み、後に「小槌」の当て字にしたのではないか?というものです。

 

この打出には金津山古墳があります。別名はこの古墳は黄金塚(こがねづか)または金塚(かなづか)とも呼ばれた伝説の古墳なのです。打出村の黄金などが埋められたという伝説も残っているのですから、「打出の小槌」を振ると「金銀財宝がざっく!ざっく!」もあり得えたことなのかもしれません。


市役所の看板は「打出の村人を愛した阿保親王が飢饉に備えてこの地に財宝を埋めたという伝説がある」と記載している。


地名といい現実に残っている古墳などの伝説を照合していると「打出小槌」が存在した理由が理解できますね。