松浜町に 清風荘旅館 と昭和43年の住宅地図にはありますが、正式には「ホテル芦屋清風荘」と呼ばれる旅館です。


作新学院江川卓が甲子園出場の時に泊まったホテルです。

現在はマンションになっていますが、村上春樹さんの著書「1973年のピンボール」にはこの松浜町のあたりの風景が描写されています。お猿の公園は、以前紹介しましたが、村上春樹さんの著書を読むとなんとなく、この辺りだろうか?などと想像が膨らむものなのです。

 

1973年春・夏の甲子園大会に出場した作新学院の江川卓はとんでもない大フィーバーを巻き起こし、芦屋市松浜町を襲ってしまった。

ホテル芦屋清風荘のオーナーの池田さんは当時を振り返って、まさかあの怪物投手がうちのホテルに宿泊することになるとは思わなかったと。





 作新学院の江川は1・2年の時には甲子園に出ていないですが、その投球内容や豪速球は有名になっていました。

 甲子園に怪物現る・・・        そんな見出しと共に海岸線でキャッチボールをする写真がスポーツ誌に掲載された。「ここ芦屋の清風荘や」たちまちその噂が芦屋どころか近隣市にも伝わった。


海岸でのランニングや投球練習を一目にみようと大勢の人たちが防潮堤にも溢れ、芦屋警察署員も動員された警備体制になってしまった。

近所は違法駐車ばかりで、報道関係者の車両もごった返していた。江川選手がホテル芦屋清風荘の窓から顔を出すだけで大歓声です。

  ホテル芦屋清風荘も近隣対策に疲労困憊でした。


人間江川卓の顔を見ていた清風荘で働く方や池田さんは「普通の高校生でしたよ。テレビで見る豪速球を投げて涼しい顔をしている少年が同一人物とは思えなかった」そんな話をしてくれました。


「早くてボールが見えない。タイガース江夏豊投手とはまた違う」

江夏が「ゴ~~」という音なら江川は「キ~ン」という金属音のように聞こえました。

キャッチャーミットが「ドスン・ドスン」でなく「バチーン」という鞭のような音だった。

「これが高校生かぁ。野球に進むのはやめとくわ」、当時の野球小僧たちの夢を完全に打ち砕きました。




芦屋市松浜町の閑静な住宅街を一大イベントの街にしてしまった。もちろん神戸銀行グランド横には「ホットドック移動販売車」が多数出ていたのが懐かしい。