芦屋トーヨーボウル


神戸市東灘区深江本町の国道43号線沿いにありました。

本来は「深江ボウル」とするべきですが、高級住宅地として「芦屋」がブランドになる頃でした。

 芦屋と名のついたマンションが深江の地にも登場してしまうほど人気があったものだと推測します。(深江文化村など街づくりは芦屋を遥かに凌駕している地域なのに!)


 また芦屋市には遊興施設がなく、ゲームセンターなどは市民運動によって排除されるのが常識的に広まっていました。しかし、そんな禁止するような条例規制は一切存在していませんでした。


   芦屋市にパチンコ屋などが禁止されたのは199636日に条例が制定できてからなのです。つまり、当時ボウリング場が建設がされようとした場合は地域住民の猛反対が予想されたと思います。


さて、その「芦屋トーヨーボウル」が開業された時期ですが、

昭和42年、私が小学校2年生の時のウルトラセブンのロケが芦屋であった頃には存在してなくて、1970年、小学校5年生の大阪万博の年に初めてボウリングをやった覚えがあります。


2Fに食堂ゴールドというレストランがありました。

何故か、ここのカレーライスが美味しいと評判でした。



当時は空前絶後のボウリングブームです。土日にはテレビでボウリング番組をやっていたし、CMには中山律子か須田開代子を見ない日は無い。美人の中山選手に対して、実力と名アスリートの須田選手。このふたりがスポーツ界を代表するライバルとしてクローズアップされました。





 当時のボウリングは2時間待ちは当たり前、1ゲーム200円から250円で高額でした。靴は貸し靴50円で白とエンジか、赤と黒のツートンカラーでした。


 「G」ガーターをガタガタと言われ、家族での一大イベントも徐々に衰退していきました。


そして、早朝割引1ゲームが150円でも学生割引でも一度ブームから去ったものが再び活気づくことはありませんでした。

 ビリヤード場にしたり、卓球台が置かれた時期もありましたが、駐車場付近にコインゲーム機を置いたあたりから、国道43号線沿いのこともあり暴走族のたまり場になったり、夜の徘徊を行う青少年たちが集まるようになりました。

その結果、芦屋トーヨーボウルは廃業してしまいました。


 2階にあったゴールドのカレーライスはその後に出会うことはなく、報徳学園時代に食べていた西宮北口にあった「サンボア(インベロップ)カレー」と同様に幻となってしまいました。

 懐かしい「芦屋トーヨーボウル」を覚えていますか?