宮川にかかる水道橋が昭和35年に完成した。
「潮風水管橋」が正式名称だ。
  独立水管橋という種類です。上についてるのは歩くためではなく、メンテナンス用。
 小学校の低学年で、人が一人通るのが精一杯の幅約80cmほどの人道橋ではなく、水道管のための橋です。




 呉川町から西蔵町にまたがりかかっている。
 入り口は頑丈な扉があり南京錠がかけてある。
 近所の悪ガキたちは、この橋を通るのが「名誉」でもあり、少年少女たちの憧れになるほどのものです。
 通称名が「根性橋」だった。

 もし、転落すると6mは落下し、宮川の浅い水深では大怪我は免れない。
 さらに、この橋は人を通すためのものではないので危険であったため、近所のオヤジ達に通過するのを発見されると「怒鳴られるどころか・・・。殴られる」
   この時代の「オヤジ」たちは威厳があったし、少々の悪さは見逃してくれるおおらかさもあった。ですが、子供たちが危険であるとすると「めっちゃ怖かった」ものです。

 さて、この「根性橋」は大抵の近所の悪ガキたちは小学校5年か6年、 すごく早くて4年生が初渡りして、「周りに一人前として認められる」のが通例でした。
 低学年で挑戦するには相当の・・・それこそ、根性と度胸が必要だった。
  私の幼馴染は小学校2年生で挑戦しましたが、途中で怖くなり立ち往生して大騒ぎになった。

     ここを通る度に思い出してしまう通称、根性橋。

写真は
昭和36年1月2日の呉川町後ろに根性橋が見えています。私と姉