阪神間を結ぶ日本初の都市間高速鉄道(インターアーバン)として阪神本線を1905年に開業した阪神電鉄は、大正末期の阪神国道(現・国道2号)の建設計画に伴い国道上に軌道を運営すると、1925年に子会社の阪神国道電軌を設立、1927年に野田 - 東神戸間26.0kmを開業。

   1928年には阪神本社が阪神国道電軌を吸収しました。




  これが阪神国道軌道電車です。私たち地元では「ちんちん電車」という愛称でした。これは警告音のかわりに「チン!チーン!」と鐘を鳴らしていたことからこの呼び名になったものです。

 

   1969年には西灘から東神戸までの区間が、他の2号線区間も1974年に廃止された。

   1975年5月、甲子園線及び同じく軌道線だった北大阪線と共にすべてが姿を消しました。


  しかし、この国道軌道電車の一部が芦屋市に残っています。


  シーサードタウンにある中央プロムナード(中央緑道・歩行者用)およびそこに隣接する公園に軌道敷に使われた枕石がちゃんと道路で使われています。





   国道2号線の枕石撤去の際、現在の芦屋市図書館と美術館・谷崎記念館あたりに下水処理場がありましたが、そこに廃棄された枕石が多数運び込まれたのです。


   処分されたものを芦屋市が譲ってもらったということです。1974年当時は何に使うことも予定がありませんでしたが、これを大切にしようとする市民の声と職員さんたちの思い入れもあったようです。


   当時の新入職員(技術職)の仕事は「この石を磨くことが仕事だった」と私に話してくれました。


   なぜ、こんなところにたくさんの石あるのか?と私も不思議でした。


   後にシーサイドタウンが全国初の埋立地で住宅地ができる計画が発表されました。当初は白砂青松の浜を埋め立てるのを反対する声も大きかったようです。

   しかし、反対の声からどうせ作るなら日本一世界一の誰もが憧れる場所となるようにと願う声もありました。

 

   旧市街地と違って歴史文化はありません。旧歴史的建造物を移設する計画なども出されましたが、この枕石を使ったヨーロッパのような道路を作ってはどうかというプランを元に保管されていた石を使った贅沢な道路の公園が完成しました。

 



   しかし、3年ほど前に通行しくいとの意見もあり、撤去の方向にありましたが「ちょっと待って欲しい」と議会で私が取り上げ、廃棄せずに車椅子などが通りにくい場所には配慮し、道路周りや公園にこの石をさらに再利用して貰いました。


   費用がかかりましたが、長い歴史の一部が残りました。これを無駄なものと言うご批判があるのは覚悟していますが、国道2号線の軌道電車(ちんちん電車)の歴史、新しくできる街へ市民が願った文化歴史。


  そしてその再利用で他にない道路と公園の伝承。

 

  私は芦屋だからこそ、それに拘るべきだと考えます。