宮川小学校プール物語

 

私が通っていた宮川小学校のプールは昭和35年に完成していました。


 もう58年前の時代に、すでに宮川小学校にはプールがありました。

  

 しかも、このプールを建築したのは、「地域の皆さんの力」があってのことだったのです。


写真にある銘版には「宮川小学校プール新設記念」

施主 宮川小学校育友会 会長 奥村泰夫

   宮川小学校校長  田中武夫

協賛 芦屋市

竣工、昭和35年7月21日

とあります。

「おやっ」と思いませんか?このような学校施設を建設する施主は「芦屋市」のはずです。



(この銘板は解体された時に放置されているのを私が発見して、芦屋市に交渉して残して貰えるようにしたものです。)


   ですが、育友会と学校が施主です。

    昔はこのプールが完成するまでは、地元の打出浜海水浴場で授業をしていました。

それを見ていた地域の人たちが、環境の良い、波などに影響されない場所で、つまり学校のプールで水泳の授業をさせてあげたいと「寄付金」を出し合って建設したものだったのです。


   「寄付金」集めには随分と御苦労されたようです。芦屋市も協賛金として一部の金額を拠出し、独自設計を担当していました。

   学校の先生方や保護者、地域、行政が「子供たちにプールを!」と一丸となって昭和35年に完成させ、これまで大切にされて貴重な財産となったのです。


完成披露は地域が主催し、記念品は日本てぬぐいだったそうです。


   阪神・淡路大震災の時に大活躍したプール用の井戸も地域の方々が掘ってくださったと言うことです。

 完成後は、多くの小学生と幼稚園の子供さんたちに利用されました。壁にあったモザイクタイルの可愛い絵が子供たちを見守っていてくれました。


   そのプールも今から4年前に役目を終え、新しくプール棟として建て代わりました。


     1階はダンススタジオの会議室、バリアフリー化された施設が、2階にプールが完成したのです。


   芦屋市だけでなく、阪神間に類を見ないほどの施設が完成しました。




 新しくなるプールも楽しみですが、多くの宮川っ子たちがお世話になった昭和35年のプールの事もいつまでも皆さんの記憶に残ってくれることを願って古いプールにあった銘板をプール棟一階の壁に展示してあります。


歴史のある隣接幼稚園を一刀両断に廃園にするような芦屋市に!この銘板にある意味を受け止めて欲しいものです。

   宮川幼稚園や精道幼稚園は地主の皆さんが公教育のためならばと超破格の価格で提供いただいたものでなのです。


  芦屋の高い公教育は市民が作って来たという歴史を残したいと思っています。


 


写真は昔プールにあったタイル画です。