坂本龍馬の影に隠れた感がある高杉晋作の
『おもしろき こともなき世に(を) おもしろく』
下の句もあります。幕末の女流歌人・野村望東尼が、
『すみなすものは 心なりけり』を加えている。
おもしろくない世の中をおもしろくするにはどうすればいいのか?
自分の気持ちや、考え方次第で、人生は面白くもつまらなくもなるよ
私はこの句が大好きなのです。
「奇兵隊」(きへいたい)は、1989年12月30日、31日に日本テレビで放映された『日本テレビ年末時代劇スペシャル』の第5作です。
映画『幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬』を視聴したスタッフの意向で、武田鉄矢さんが特別出演している。他にも中村雅俊さんや高橋英樹さんが特別出演しています。
第一部「京洛の花に舞う-決起の章-」安政の大獄から2年後の文久2年(1862年)、大獄で処刑された吉田松陰の松下村塾に学んだ長州藩の若者たちは、尊王攘夷を実行すべく政治活動を行っていた。
晋作は仲間の久坂玄瑞・井上聞多(のちの井上馨)・伊藤俊輔(のちの伊藤博文)らとともに建設中の英国公使館を焼き討ち。
また将軍上洛工作などに関わり、尊王攘夷を推し進めていく。また井上と伊藤は、村田蔵六(のちの大村益次郎)の仲介により、藩が極秘にロンドンに派遣した留学生の中に加わる。
残された久坂は5月10日、公約通り攘夷を実行すべく馬関海峡を航行中の外国船に砲撃をしかける。
しかし、数日後、外国の連合艦隊に逆襲され、砲台を占拠されてしまった。下関に来襲する外国兵に対して激昂する百姓らの姿を見て、晋作は師・松蔭から学んだ「草莽崛起」を実践すべく、庶民からなる軍隊・奇兵隊を結成する。
第二部「四境ことごとく敵-回天の章-」禁門の変で敗れた長州藩。前年の下関砲撃に対する報復として英・仏・蘭・米の四国連合艦隊が来襲するというのである。
この件を知った井上・伊藤は急遽ロンドンから帰国し、奇兵隊ら諸隊とともに連合軍と戦う。
しかし、惨敗した長州藩は、晋作を長州藩家老宍戸家の養子・宍戸刑馬と名乗らせ、全権大使として敗戦補償交渉に当たらせる。晋作は敗北を潔く認めたが、賠償金はすべて幕府に転嫁した。
また、上海の悲劇を知る晋作は海峡にある彦島の租借を断じて拒絶する。こうして和睦は成立した。
しかし、幕府から長州征伐軍が派遣されるに及び、これまで長州を主導してきた改革派の粛清が始まり、周布も自害に追い込まれ、晋作も藩外への逃亡を余儀なくされた。井上も襲撃され全身に傷を負うが、一命は取り留めた。奇兵隊ら諸隊にも解散命令が下る。
山県狂介(のちの山縣有朋)・伊藤らもその命令に従うほか無かった。だが、そこへ潜伏中の晋作が現れ、藩政府に対して挙兵を促す。
保守派の軍勢を破って主導権を取り戻した。年号が慶応に改まり、禁門の変後、行方不明だった桂も村田蔵六の知らせにより長州へ戻り、幕府へ対抗する体制が整えられた。
しかし、長州単独では武器の調達もままならない。そこで土佐の浪士坂本竜馬の仲介により薩摩藩との同盟が模索されるが、藩内の抵抗は強く、桂は諸隊の隊長を連れて京都へ赴き、双方の誤解を解いて薩長同盟の締結に至った。
幕府は第二次長州征伐を企てるが、薩摩藩はこれに従わなかった。村田蔵六指揮の下、整然たる作戦に裏打ちされた長州軍は幕府軍を各所で退け、勝利した。
晋作も小倉口の戦いで龍馬の協力により幕府の旗艦富士山丸を撃破するなど活躍するが、この時すでに晋作の体は労咳に蝕まれていた。長州軍の勝利が確定してまもなく、高杉晋作は息を引き取った……。
吉田松陰の門下生たちが藩を変え幕府を倒し、近代国家の基礎を作るまでの物語です。
幕末に欠かせないストーリーは時代考証と史実を描いた作品です。
私は幕末という時代がこの上なく好きです。
個性豊かな英傑たちがこれほど溢れた時代が他にはないことが理由です。