先生が教えてくれた。小学校4年だ1968年のことだった。


「みんなは、円谷幸吉選手を知っているか?」

「東京オリンピックで銅メダルを取った人やぁ」

 

 先生は包み隠さず、円谷幸吉という人の人生を話してくれた。

 

 高校を卒業して、直ぐに陸上自衛隊に入隊し、陸上を始めて色んな大会で優秀な成績を収め、ついには東京オリンピックに出場することになった。ですが、短期間で成績を残さなくてはならない使命もあり練習のし過ぎで腰椎の病気になった。


  それでも、男子マラソン本番では東京オリンピックでは日本人としてゴールのある国立競技場に2位で戻ってきたのです。ですが、後ろに迫っていたイギリスのベイジル・ヒートリーにトラックで追い抜かれてしまった。


「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを愚直にまで守り通した結果だったと言う。とはいえ、自己ベストの21622.8秒で堂々の銅メダルになったのです。


「最後に追い抜かれた円谷選手」拍手と残念がる声が交錯していたと言う。

 

  そして・・・・

 

円谷選手は努力した。

日本の期待を一身に背負って、「メキシコでは金を取る」と宣言したものの、過酷なトレーニングを行ってしまった。


  その結果、病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症してしまうのです。

腰痛の病状は回復したのですが、すでにかつてのような「スピードと粘り」の走りをできる状態ではなかった・・・・・。

 

  メキシコシティ五輪の開催年となった1968年(昭和43年)の19日に、円谷選手は自衛隊体育学校宿舎の自室にてカミソリで頚動脈を切って自殺してしまった

 

 まだ27歳の若さだった。先生はこの事を熱心に話してくれたのです。

 

「いいかみんな覚えておいて欲しい」


「円谷選手の銅メダルは凄いことだ」

 

「金メダルよりも・・・・値打ちがあるんだよ」

 

 「銅は漢字では金と同じと書くんだ」

「銀はね。金より良いと書くんだから・・・・」

 

「いや!メダルの色じゃない。一生懸命にやった人へのご褒美なんだから・・・・」

 

オリンピックの度に私は先生を思い出す。

 

選手の皆さん!ベストプレーを見せてください!

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