本日の賛成討論を掲載します。(一部、変更した所もありますが、ほぼこの内容です)

 

「芦屋市立幼稚園における3年保育の実施及び廃園(所)条例の廃止を図るための関係条例の整備に関する条例の制定について」

賛成の立場で討論をさせていただきます。

請願第13号
「市立幼稚園・保育所のあり方について関する請願書」が芦屋市自治連合会から提出されましたが、昨年6月議会で否決されました。

 その時、私は討論で「合意形成のあり方に問題あり」と指摘したのですが、市長の本意がこれにあるとは今も思いたくもありません

それがこの言葉でした。
ブリタニカ国際百科辞典の解説にこうあります。
「サイレントマジョリティー」
「静かなる多数派」という意味の言葉。有権者の多くは強く意見を表明することはあまりないから無視してしまいがちであるが,注意深く耳を傾けるべきであるという含みを持つ」とありました。

 山中市長が本会議で「サイレントマジョリティー」をいうこの言葉を使った意味とその後に委員会で発言されたものを推測しても、「静かなる多数派」が自身の政策を支持していると捉えるような発言に使ってはいけません。

 本来、政治家が使う「サイレントマジョリティー」は寧ろ少数の意見でも真摯に受け止めることが求められる用語として存在するべきです。

 山中市長は用語の意味も使い方も間違った解釈をされたようで残念でなりません。

 寧ろ私が新鮮だったのは直接請求代表者山内美香さんの「スリーピング・ジャンアイント」という言葉です。

「眠れる巨人」は山本五十六連合艦隊司令長官の「我々がなしたすべてのことが、眠れる巨人の目を醒(さ)まし、おぞましき決意で彼を満たすことになるのを私は怖れる。」
 一般的な訳は「我々は眠れる巨人を起こしてしまったのかもしれない」です。
I fear all we have done is to awaken a sleeping giant and fill him with a terrible resolve.
 
 日本では、山本五十六長官は言っていないというのが一般的であるのですが、

「眠れる巨人を起こしてしまったかもしれない」というのを、アメリカ人は、甚(いた)く気に入っているらしいく、時々使われるようになりました。

 メキシコ国境の米南部テキサス州マッカレン。中南米系移民に有権者登録を呼びかける非営利組織は「私たちは『眠れる巨人』と呼ばれてきましたとコメントし、「トランプ氏が眠れる巨人を目覚めさせた」と題する記事を政治報道で知られるフィスカル・タイムズが掲載しましたので一気にこの言葉は日本でも聞かれるようになったものです。

「スリーピング・ジャイアント」眠れる巨人は芦屋市にもいる。目覚めるかもしれません。人数が多いので怖いよ。事実を知れば目覚めて立ち上がるこういったグループが目覚めた時、芦屋市で何が起こるか・・」と直接請求代表人の山内さんはこう述べておられました。

「スリーピング・ジャイアント」眠れる巨人たち、まさに、この直接請求の活動を支えた方、署名に協力をなされた方にどう答えるのか、それがこの議案に込められた想いなのです。

さて、この直接請求は
「第 12 条 日本国民たる普通地方公共団体の住民は、この法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の条例の制定又は改廃を請求する権利を有する」と解釈されるものです。

 幼稚園と保育園のあり方に関する行政の進め方や計画策定に関する問題認識から疑問を持つ6、304名の方が署名をされたと請求代表者の山内さんは詳しい署名活動内容も報告されておられました。
 その住民問題意識から議会での議論を請求する権利を行使したことを真っ向から否定する発言が市長からありました。

「直接請求権」は地域住民には、制度として、間接的政治参加(選挙など)に加えて、直接的政治参加が認められています。

 しかし、直接請求権には間接民主制の議論や意思決定に問題ありと頻繁に起こらないように、高いハードルとして市町村町では1ヶ月以内に有権者の50分の1以上の署名が義務付けられています。    

 識者の中には、「50分の1以上の有権者を集めるような場合には、耳を傾けるべき」という方もおられます。今回の有権者12分の1に近い有効署名数を集めたことを矮小化されるべきではないと思います。
 むしろ、「勇気ある少数派」の存在を認め、それに感謝することこそが、首長のあるべき姿勢ではないか?」とされていました。
まさにその通りです。

 芦屋駅前で、幼稚園や保育所で、ご家庭で、地域の公園で署名活動を通じて幼稚園・保育所のあり方をたくさんの方が認識されたことと思います。

 その行動に対して市議会議員の一人として最大の敬意と感謝の言葉を申し上げたいと思います。

「ありがとうございました!」勇気ある方々の行動が決して無駄にならないと私は確信しています。

 ここで討論を終わる予定でしたが、市民の方からの多数の疑問も含め、いくつかの点において問題があったことをあえて指摘しておきたいと思います。
4点あります。
1)議会や市当局が情報公開しないことについてです。
  直接請求人が審議質問の対象とされず、当局だけが議員の質問に答える構図になっています。市長は何度か市長室で面談した内容を発言されていましたが、直接請求人には委員会で発言を求めることのできない運営になってしまったことや、先の議会運営委員会では直接請求人から申し出のあった提出資料を芦屋市HPに議案資料として公開しないことを決定し、芦屋市の追加提出の資料のみを公開していることについては、市民からの直接請求であるのに、不公平な扱いであったと言わざるを得えません。

 参考人として専門家や直接請求人、学校教育審議会委員や教育委員など審議に欠かせない参考人招致を認めてもらえなかったことも残念でなりません。
議会基本条例の本旨に則った運営をすることを改めて求めておきたいと思います。

2)待機児童数のデータ一元化を求めておきたいと思います。

 待機児童数のデータを検証するために、平成30年2月7日付けで子育て推進課・教育委員会管理課が作成された平成30年4月1日の保育所の定員内訳を頂戴しました。

 私立・公立を含め2号・3号子どもの定員数は1,369人でした。
一方、保育所関係者の外部連絡会で「保育所等の入所予定人数」のデータも同様で1,369名ですが、平成30年4月1日待機児童数は146名です。

 しかしながら公表されている同じ平成30年2月1日では438名となっています。平成29年の兵庫県データでは芦屋市の4月1日の待機児童は44名となっているのです。

 これは4月1日を基準にして制度設計を考える意味にでも、委員会で保護者・利用者のニーズ把握をいち早く行うべきだと私は申し上げました。4月1日と2月1日で大きく変わるこの実態も保育所では運営に今後大きな意味を持つと考えます。

 待機児童146名が実数とするとそのニーズには仕事の事情や保育所の位置関係なども含まれるでしょうから、保育所の待機児童対策により明確で実際に即した計画を策定するべきなのです。

3)3年保育の経費です。
幼稚園1号子どもも定数は平成30年2月7日付け子育て推進課・教育委員会管理課の作成によると市立幼稚園8園の定員1540人、私立は640人で合計2,180人になります。

 芦屋市の答弁では3年保育16クラスで年間7,400万円とありました。この経費を高いか安いかの議論ではなく、その方法は幾らでも検討できるものです。

 また、必要なのは延長保育費用、年間1,800万円が試算であると芦屋市答弁もありました。
直接請求は延長保育も求めていましたので、国の無償化の基準や具体案を見てからでも遅くないと主張して国の方策を一定見極めることも重要であり、優れた公教育を保つことによって教育の街芦屋が実現するものだと考えているものです。

 少なくとも国が無償化を決定している現在、急ぐことはありません。
 じっくり検証する必要があるのです。しかし、芦屋市はこの計画を変更することは考えていないことが解り唖然としたのです。

政府方針では2020年3~5才児童教育無償化は昨年12月閣議決定事項で、詳細は間もなく2月中に明示される予定です。委員会質疑で明らかなことは、市当局は政府方針に対してどうなるか判らないと答弁しています。

 ましてや明石市や宝塚市は先を見越して、公立の3年保育や延長保育拡大に進んでいるのが実情です。

 伊丹市では新聞記事でも紹介されたように、市の案と議会の修正案が対等に議論されている現状があるのに、芦屋市は全く異なる方向に進みつつあるのです。

もうひとつの考え方として、
「地域のためにみんなが使える公共施設を残す」ということです。
また、幼稚園では南芦屋浜小学校建設計画の折り、私が主張していた「転用型公共施設」の時と同じ発想で署名活動をされた方たちもお考えになっておられ、新鮮でもあり、懐かしくお聞きしました。

 短期計画として、すぐにできることは「子育て支援は3年保育」
 中期計画は幼稚園に給食施設などを整備。幼稚園で長時間受け入れ体制の確立。保育所・幼稚園ですべての未就学児の受け入れ。
 長期計画では本格的な少子化が進み、幼稚園の施設がフル稼働でなくなれば幼稚園の規模を縮小し地域に開かれた施設として運用する。

 2025年に向けた国の方針である「地域共生社会」高齢者・障害者・子供のなどすべての人々が一人ひとりの暮らしと生きがいを共に創り、高め合う社会を目指すとする計画は市民全体の理解される解りやすい考え方を示しています。
 
 直接請求には、幼稚園の3年保育や延長保育の実施、市内8つの地域にある幼稚園を貴重な財産としてあらゆる世代に通じる公共的な施設として残して行こうとする長期プランは今の芦屋市に必要不可欠な考え方でしょう。

4)「民業圧迫」の発言を繰り返す行政に一言申し上げます。
 私立の幼稚園・保育所の経営者の方には芦屋市は当初、「公立で認定こども園は作らない」「民業圧迫」になるという理由からだと説明していたと証言されておられます。
 
 しかし、いつの間にか芦屋市では「公立で認定子ども園をする。3年保育は幼稚園ではならない」と方向転換しています。その理由は「民業圧迫」だというのです。
 
 実際、国の無償化の指針は私立幼稚園経営者にも細かく説明されておられるようで、民間側は「芦屋市にどうのこうのといわれる筋合いもなく、国の方針からも民業圧迫とは考えていない。心配無用」というものでした。
 
 何か、民間側からも行政にリクエストして3年保育実施を阻止しているように思われるのは遺憾だということでした。
 
 別な理由で民業圧迫などという言葉を使ってこれ以上行政運営をなされない方がいいと思います。公立3年保育を実施すると民業圧迫になると考えている幼稚園がいくつあって、その影響額はいくらになるのか、これも是非園長会でも議論してもらいたいと考えています。
 
 行政運営に民業圧迫を持ちだすと病院経営や福祉公社他民間でもやれるところを公が運営しているところと整合性が難しくなってしまいます。

 次に
請求人代表者の山内さんは「地域を核としながら地域で育み、育てる。これが芦屋の教育だということを信じています。」と解りやすく趣旨の説明をされておられました。

 私と全く同じ考え方ですし、私はそういうこの街で育ててもらいました。

「8つの幼稚園を活かして教育の街芦屋を再生させていただきたい」

 同じく請求人代表者の佐藤うめ子さんは

 幼児教育は国家にとって最も費用対効果が大きい教育投資であるノーベル経済学賞受賞者でシカゴ大学ジェームズ・ヘックマン教授著書「幼児教育の経済学」や大学より幼児教育の方が効果的とする学者識者も増えているのも事実です。

 教育の問題は街づくりの問題であり、芦屋市がどの方向に向くか。それがこの街の生命線なのです。

 請願13号の芦屋市自治連合会から請願から始まり、
今回の市民の直接請求も

「急ぐことなく、少し立ち止まって市民と共に計画を考えよう」それを願ったことから始まりました。
また、これら市民に確実に徐々に浸透している「行政主導主義的」への抵抗でまさに、「スリーピング・ジャイアント眠れる巨人」は目覚めました。

 最後に私の意見を述べておきたいと思います。

 街づくりを成功させている行政の例で、過去に一握りの人間がプランを作成し実行し成功した例も確かにありました。しかし、最近は行政主導で市民の声を聴かずに行って成功した例を聞いたことはありません。
 
 昨年、子育て街づくりで視察させていただいた愛知県長久手市は日本一平均年齢の若い都市として有名になった市です。「名古屋市の東隣に位置する人口5万人余りのベッドタウンは、今年の東洋経済「住みよさランキング」で総合2位、「快適度」では4年連続ナンバーワンとなるなど「住みよい街」のイメージを定着させています。吉田一平市長は活気のある街づくりを成功させておられます。
 
 「市長の市政運営の手法は、新しい計画や現在の計画を変更する場合、何度でも市民と話し会いをすることを義務化している。市民参加型行政運営に徹したことが認められていると思う」と担当職員さんは胸を張っておられました。
 
「行政主導型街づくりには未来はない」 屋外広告物条例に始まり、市民に考える時間や議論する時間も少なく、今回の幼稚園・保育所のあり方についても「市民の声を聴かない行政運営」では芦屋市が過去の積み上げた財産を使い果たした時に気づいてももう手遅れです。

 このままでは芦屋市が埋没していく運命が待っているだけだと私は考えています。

 

 願わくば、冷静に3年保育の実施とこれまでの幼稚園・保育所のあり方について再考され、立ち戻って頂き、芦屋市で多くの子供たちが育ってくるような制度設計への変更を心より願って本議案に賛成いたします。