私の昔父がやっていた。クラブチーム野球の仲間で1年先輩が、甲子園で高校野球の審判をしている。

 彼自身も勿論、甲子園を目指した左の本格派の投手で高校球児だった。

 しかし、彼は利き腕の左肩を脱臼で故障した。       高校2年の時だ。

 その後は、バッターとして野球を続けたが夢は叶わなかった。

 

 そして、10年後甲子園で審判としてグランドにたった時に、甲子園でプレーする選手を見て、すごく輝いて見えたと言います。


   甲子園の審判は、審判員講習会を受け、地方大会の試合の経験を積んで、甲子園で審判として立つのであるが、長期間の休暇を取ることが求められる。

 そこで彼は、仕事の年休をすべて甲子園のために使っている。

 

 審判とは、指導者としての意味合いもあるそうです。

   ベストプレーができるように、プロ野球の審判より、走っているシーンが多い。

 4人のグランド審判は目線が切られないようにお互いをカバーしているし、実は7人で1組になっている。

 

「おやっと」思う人も多いだろうが、高校野球の審判員はたまに、投手や選手へ「口頭注意や指導」を行っているが、それは、この甲子園大会も含め、高校野球である以上、教育の一環なので、当然なのです。

 

 彼のジャッジは公平だ。その通り、高校野球の審判だからこそ、公平で厳正でなくてはならない。

 

「正しい判定をすることが審判の使命です。しかし、正しい判定をするためには、野球というスポーツの全体に精通していなければなりません。ですから、選手経験、指導者の経験がなければ良い審判にはなれないのです」と専門家は言う。

 

 しかし、高校野球審判は別な使命もあるのです。
「高校野球の審判には、選手を育てるために指導をする役割もあります。何でもルールブック通りに、細かく厳しくジャッジをすればいいというものでもありません。選手を一人前の野球人に育てていこうという使命感も必要なのです」

私は彼がすごく、その点を習得している審判であると思っている。

 

妙な話だが、審判をしている彼を見に行った。

バックネット裏から声は掛けない。

 

終わってから、「ナイスジャッジ」と言うだけです。
 審判は、技術や判断力が求められることは当然だが、更に人間性を磨くことも求められる。選手として活躍して欲しいことは勿論ですが、将来は、指導者や審判として野球にカ関わる子供たちが育つことを願っている。

 

   彼は随分以前に、同窓会的な飲み会があったときに、「審判ご苦労さんだが、あんたも好きだね。休みもすべて甲子園審判として使うなんて・・・」と先輩から言われたとき、

こう答えている。

 

「好きだけでもやれないが、仕事だったら、この審判は絶対にやらないよ」

 

「野球が好きだからね。高校野球はもっと好きだから・・」

 

であった。

 

高校球児の顔で、真顔で言われると、元高校球児の先輩たちは、

 

「羨ましいな」 私もそう思う。

 

 

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