あれから22年
「阪神淡路大震災のその時・・最終回」
バラバラの組織、消防・自衛隊・警察機動隊、それぞれが得意とすることを発揮するだけでこの救助活動はスムーズに進み出したのです。
「ここから侵入しても、この柱持つか?」私ともう一人の団員は躊躇したのだ。
ちょうど、真後ろに私がおりましたのではっきり覚えていることがあります。
余震が頻繁に起こり出していたので特に恐怖が増していたのです。
いつ倒壊するか解らない5階建てのマンション。すでにペシャンコの瓦礫と化している。
ところが、自衛隊員が「このロープを持っていてください。私が入りますよ・・・」
「いかん。ここは私たちレスキュー隊がやります・・・」
積極的な若い人たちは我先にと気持ちばかりが出てしまう。
その時、余震が起こった。「グラグラ・・グラ~」結構大きかった。
その影響のため、せっかく、進入スペースを確保したのですが、少し狭くなってしまった。
「ここで譲り合っても仕方がないでしょう。貴方は独身ですか?」一人の自衛隊員が妙なことを言い出した。
レスキューチームも私たち消防団員は妻子があるものばかりです。
「ああ、嫁さんと子ども2人やけど、それがどうした?」
「じゃあ、私が行きます。私は独身で、しかも彼女もいないですから・・・」若い、自衛隊員。
その笑顔はめちゃくちゃ、かっこよかった!。
東京レスキュー隊のメンバーは救助用の資機材を彼に渡し始めた。
穴を覗く自衛隊員・・・「怖いだろうに・・・」私たちはそう考えていました。
しかし、彼は腰に巻いたロープを私に渡して、自衛隊員の彼はこう言った
「もし、さっきのような余震でこの侵入口が壊れたら、このロープの先に私が居ます。先に今の生存者を救助して下さい。私は最後でいいですから、」
「何を言ってるんや。危ない仕事やけど、2次災害を出したらあかん!消防ではやったらあかん話や」
「自分は自衛隊員ですよ。自らの命をかけて国民を守るのが私の使命なんですから・・・」
こんな気高い言葉を私は初めて聞いた!「守ることその使命を果たすだけ・・」
そう言って、「敬礼」作業にかかる合図をしていた。危険な任務が始まった。
私たちは無事を祈った。
しばらくして、「生存者発見!」
現場は「やった~。狭い場所に挟まっているようですが、生存している」
救急隊員が酸素吸入器などを差し込み。
自衛隊員が急場の資機材を駆使して、1時間後、無事に救助できた。
自衛隊員の勇気と東京消防レスキュー隊の臨機応変の対応。機動隊長の早い判断。私たちのチームワーク。現場は拍手が起こった。
私たちは直ぐに、自衛隊員の傍に駆け寄り「ご苦労様でした・・・敬礼」彼は作業中に肩を脱臼したようです。私と同僚は隊員に肩を貸した。
「どうだった。。」
「怖かったです」
「そりゃそうだ!今度、この近くにある串カツ屋で一杯奢らさせてくれますか?」
「私は酒が飲めんのです」
「はははは・・・じゃあ、コーラでも!」
小さな英雄がここにいた!名もなき自衛隊員。
私は貴方の勇気と彼のような自己犠牲をいとわない自衛隊員がいることを忘れない。
END