長崎原爆の日
米国長距離侵攻用!重爆撃機B29はテニアン島を先に広島を爆撃した。
エノラゲイを伴って!
広島に続いて、米国は核攻撃を行うため目標は北九州工業地帯のである小倉に向かった。
午前9時40分には小倉陸軍造兵廠上空へ到達。しかし、煙幕が霧で爆撃手が目標を目視できないかった。
その後、45分間、爆撃行程を繰り返したが失敗した。
このために、予定以上の燃料を消費してしまい、さらに天候不良と機体の予備燃料ポンプの故障も続いた。
陸軍芦屋飛行場から飛行第59戦隊の五式戦闘機、海軍築城基地からも零式艦上戦闘機10機が緊急発進し迎撃に向かった。
その結果・・・
目標を小倉市から第二目標である長崎県長崎市に変更し、午前10時30分頃には小倉市上空を離脱した。
午前10時50分。長崎県上空へ侵入。
そして・・・・
午前11時2分、雲の切れ間から、広島に投下した爆弾の約1.5倍の破壊力の原子爆弾を投下した。
B29重爆撃機の名前は
「ボックスカー」
爆弾の通称は「ファットマン」
広島のウラン235型原爆と違った。プロト二ウム239型で威力は広島が一般火薬の1万5千トン相当に比較すると2万1千トン・・・に増していた。
二度目の核攻撃を受けた。
人類は核兵器廃絶に向けて、動き出したが、70年経ったが、核兵器保有国は逆に増えてしまった。
いつか、広島や長崎のような犠牲者が必ず出る。
その時には、時の指導者たちはこう言うだろう。
「早期に戦争を終わらせるために、仕方がなかったと、、、」
多くの犠牲者に誠の哀悼の意を捧げ!
ご冥福をお祈りします。