小池百合子さんとのお話し・・つづきです。

 

「売れないラジオ」のオンエアーは深夜だった。FM大阪とは言え、聴取者の反応は気になるし、スポンサー企業の悪口は完全に「NO」だった。

 

 歯切れのいいコメントをしていた小池さん!当時は少数派だった。北朝鮮の暴君の話もタブーだったのです。

 

 しかし、その番組の初回放送を聞いた人たちから激励のファンレターもたくさんあった。


「小池さんと隣の議員さん(私のこと名前は無いに等しい扱い)もっとファイト!」2回目の放送がされていたら、私の人生も変わっていたかも知れません。もっと過激な発言ばかりでしたから・・・・

 

 収録が終わったら、ギャラを貰った。出演料というものだろう。好きなことを喋ってギャラを貰えるのは気分がいいものです。

 

 そのギャラで飲み会をやろうということになった。


 中田宏さんは元松下政経塾頭だったので、若い政治家希望者を混ぜようということになった。

 

 そこに現れたのが、まだ、日本新党で書生をしていた。


「のぼり」持ち街頭演説の会場設営の裏方をやっている青年だった。


 京都大学出身だというので秀才であるのは間違いないが、おとなしい人で政治家タイプにはまったく見えない。

 

 食事をした場所はどこかのビルの一角あった。串カツ屋さんだった。

 そこで、その書生さんと少し言い合いになった。


「日本の国防について」だったが、それぞれ持論があり、結構な激論になった。


 小池さんが防衛大臣を務めていた時の発言を聞いていて、その当時を思い出した。

小池さん。中田さん。私、そして彼の名前は「前原誠司」といった。

 

日本新党の成立年月日1992522 解散1994129日の短い政党だった。


 小池さんは自民党で大臣になり、前原さんは民主党党首、外務大臣を歴任した。中田さんも国会議員から横浜市長へ・・・・

 

 私はといえば、(社)日本青年会議所のメンバーとして、自民党関係者接点が多くなっていった。ただ、地方議員は国政とは違い、政党だけの思考ではダメだと思いだした頃ではあった。

 

 それぞれ、異なった将来に夢を描き、熱く語り合った時代を過ごした楽しい時代だった。