「日本とトルコ」
 
   シリア情勢で、緊張が増しているロシアとトルコですが、少し歴史的な側面から検証したい。

 親日家が多いと言われる「トルコ」その起源は1890年に遡る。

   1890年、オスマン帝国スルタンであったアブデュル・ハミト2世の使節として、フリゲート艦「エルトゥールル」が日本へ派遣されました。

   日本使節団は、618名の乗組員と共に和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁大破した。

    特使オスマン・パシャを含め500名以上の乗組員が死亡したのです。

    しかし紀伊大島の住民たちがこの海難事故の救援に駆けつけ69名を救出した。

   明治天皇は直ちに医者と看護婦を現地に派遣、救援に全力をあげたのです。

   さらに生存者へ日本全国から多くの義捐金・弔慰金が寄せられました。

   翌1891年、生存者は日本海軍の「金剛」、「比叡」の2艦によりオスマン帝国に丁重に送還された。

   このお話しは近く、映画として「海難1890」125周年目に日本とトルコ合作映画として上映されます。

この頃
オスマン帝国(トルコ)はロシアからの軍事的圧力を受けていた。
   南下政策を推し進めるロシアは強敵であったのです。

   1905年日本が日本海海戦でロシアバルチック艦隊に対し決定的な勝利をおさめると、オスマン帝国国内では自国の勝利のように喜ばれ歓喜の渦にあった。

   自分の子供たちに「TOGO」と言う名前を付けるほど、「東郷平八郎元帥」有名になったのです。
 
    1930年、日土通商航海条約が結ばれ両国の関係はより親密になり、強固になったが、第二次世界大戦でトルコが枢軸国側に参加することは無かった。

   戦中トルコはいち早く、中立を宣言していたが、イギリスを中心に連合国の圧力により、1945年日本に宣戦布告した。    

   しかし国内世論は宣戦布告に反対であり、日本に対しての軍事行動は一切行わなかった。

日本との友情は変わらない。

映画では、近年にあった実話から始まります。

是非、この映画が多くの日本人とトルコ人、いや世界中の人たちに観て貰いたい!

日本人とトルコ人の勇気と誇りに!



 
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